2008年12月3日水曜日

睡眠薬強盗 in コルカタ

ブッダ・ガヤーの外れを歩いていると、ネパール人旅行者という人が声をかけてきた。 インドでは、向こうから声をかけてくる人はほとんどが金を巻き上げてこようとする人なのでほぼ無視することにしていたが、彼は現地の人と顔立ちとやや違っていたのと、南京錠つきのリュックを持っていたので、旅行者と信じて、話をしてしまった。

私が今日の夜行でコルカタに行くというと、彼も「自分もだよ」という。ただ、彼のは20:35発で私のは23:15発だった。しかし、どちらに乗るせよ、ガヤでは夜遅くの移動は大変危険とされているので、19時頃には「乗り合いの何か」で10kmくら離れたガヤ駅に移動終了しておかなければならない。
時間をどうつぶすか悩んでいたところだったので、彼の「じゃあ一緒にご飯食べて時間潰そうよ」という提案を受けて、19時に駅の待合室、と約束した。

駅につき、インフォメーションセンターへ。コルカタの地図ある?と聴いたら色あせた日本語のパンフレットを見せてくれた。情報古そうなので見たら1985年製のものだった。

待合室にネパール人はいなかった。
まあよい。駅前は排気ガスとあらゆるゴミで焚き火するため空気が最悪に汚く、そこから逃れて待てる場所を探した。 しかし、インドでは「屋内の食堂」というものは少な目である。
みつけた、駅前のホテルの中にある食堂に入った。
そこでメニューを見ていると、彼がやってきた。偶然同じところに来たようだ。
そして、ご飯を食べる。

なかなか居心地のいい場所だったので、お茶でも飲んでずっと時間を潰そうと思っていたのだが、彼は「ビールが飲みたいからバーに行こう」という。はっきり行って気乗りはしなかったが、彼はその日が誕生日だというなんだか信じられない話を言って誘うのを断りきれない。彼の仲間の店につれていかれて散々な目にあったら嫌だなあとか思いつつ、尻尾を掴む前に切り捨てるのは悪い気になっていた。

彼は散々駅前で聞き込みをしたあげく、バーはこの駅の近辺にはないらしい、という。
(ヒンドゥー語なので本当は何を聞いていたのか分かったものではない)。
その代わりに酒屋を発掘。私は自分は1本でいいといったのだが、彼はだめだだめだとビールを小瓶に6本買う。駅の誰もいないベンチで飲もうというも、どこにも人がいる。
彼曰く、駅や公共の場でお酒を飲むと1000ルピーの罰金なのだそうだ。

じゃ、もうあきらめようよといいたいところだったが、彼の執念は強い。
リクシャーワーラーに乗り込み、お酒を飲める場所を尋ねる。そして、10分近く走って、人気のないだだっ広い公園へ。

治安の悪いガヤのような場所で周りに人気のないところに行くのは危険なので、私は行きたくない、といったのだが、見るともう1カップル人なんか飲んでいる人がいるし、まあいいかという気に。
(ここもどうしても抵抗しておくべきシチュエーションだった)

座って、ビールを飲む。
彼はあっという間に一本をあけたらしく「終わり」という。
「あれ、もう飲まないの?」
「残りは1本は電車に乗ってから、もう1本は朝用」という。
そして、私が飲み終えるとなぜかまだビールが半分近く入っている瓶を出してきて、「シェア」といい私の空瓶に半分入れる。
ちょっと不信に思いつつそれを飲んだ私は相当ばかだったのだが、その時には何も起こらなかった。
そして、すぐに「電車逃すと嫌だからすぐ帰ろう」と言い出したので、その時には睡眠薬は仕込まれていなかったと思われる。

彼は駅前でビールにはこれが一番と、屋台でゆで卵を6つも買って、駅の待合室で待つ。

電車は3時間遅れで23時発が2時発に。もう電車を待つのにはうんざりである。
その間に彼はまたビールを飲もうとして、人に見つからないようにするために滑稽な動作をたくさんしていた。ビール狂なのかと。そして、さっきの卵は全部私にあげるという。6つも食えるか! (2つ食べた)

出発時間が近くなってきたので駅のプラットフォームに移動。ホームからはありとあらゆるゴミが投げられ、公衆トイレ状態で、たくさんのネズミがはいまわる。

さて、ここあたりで今後の事件の複線がいくつか既にあった。

その1
私が買ったビールを持っていたのだが、もう自分はいらないから全部持っていって、と渡した。彼がリュックをあけると、同じビールが更に2本入っていた。どんだけビールが好きなのだとその時は思ったが、今思えばあれが睡眠薬が仕込まれていたものだったのかもしれない。

その2
彼は20:35の電車に乗るといっていたはずなのに、なぜか私と同じ電車の、しかも同じ車両に乗った。
私が以前に買って乗れなかった電車のチケットを彼が見て「キャンセルして半額取り帰してきてあげるよ。ちょっと待ってて」と一人で彼はチケット売り場にいったが、きっとその時に始めて自分のチケットを買ったのだと思う。

私はちょっと気持ち悪くなって、朝になったら駅ですぐ逃げてやろうと思っていた。彼の行動スタイルは私のものとは違っていたし、電車に乗った後まで行動を共にするのはごめんだと思っていた。

しかし、朝になると、無言で消えるのは悪い気になって「自分は一人で動きたい。あなたといると旅は楽だが、むしろ苦労を楽しむのが自分のスタイルなのだから、ここで別れたい」と提案した。しかし、彼は(ポスト)誕生日に一人でいるのはつらい。せめてランチまでだけでも一緒にしようという。

私は同情の気持ちだけでそれを受け、午前の3時間だけつき合おうと思った。結果的にはそれが過ちになった。

彼は駅に宿を取れば楽だよといってきたが、旅行者の集うサダルストリートに行きたかったので、そこに行って私は宿を取る。彼とならタクシー交渉がとても楽だ。彼は駅の宿がチェックインPM2時だから、後で取るといって、もともと小さめのリュックを持ち歩いていた。

そして、カーリー寺院へ。たまたま一人の日本人が列の目の前に並んでいた。
メトロ以外はタクシーが主な交通手段で、リクシャーのあまりいないコルカタでは一人旅はしにくい。なので、3人でしばらく動くことにした。

そして、ランチタイム。
彼は、レストラン内で食べるとサービス料が高いからといって、とあるレストランでテイクアウトをした(おいしかったが、昨晩のご飯とまったく同じメニューを頼みよった!)。
そして、すぐ近くにランチを食べるのに素敵な場所があるからと、目の前に素敵な公園があるのにタクシーとフェリーを乗り継いで、人に道を尋ねる"フリ"をしつつ歩き、たどり着いたのは人気のないしけた庭園。

タクシーとフェリー代払ったらサービス料どころじゃないだろうし、なぜそこまでしてこんなしけたところに? 日本人二人はちょっと不審に思った。
でも、ご飯を食べる。

「さあ、ビール!」と2本のビールを取り出してふたを開ける。
そのうちの一本だけが泡が噴出し、一本は何もでなかったのは、後者が既に空けられていたからだろう、ということはその時には考え付かなかった。

彼は、2本のうちの1本をビール狂のくせに半分くらい飲むと、残りの1本からそこに継ぎ足しを行い、「自分はもういいからあとは二人で飲みな」という。
これがネパールスタイル??と思ったがもっと警戒すべきだった。

私達は滑稽にもバースデーソングなど歌ってあげた。
そして、あなたのバースデーなのだからもっと飲みなよ、という我々のビールの勧めには当然乗らなかった。

私が薬の多いほうの瓶を飲んだ。
もう一人の日本人は少ないほうを飲んだ。

そして、なんか眠いなあ、というのすらなくそこから記憶が飛んでいる。

もう一人の日本人は先の記憶があり、その話によると、
・ 眠くなったが、ネパール人が「ここでは寝るのはよくない」と言い、3人で違う公園に移動した。
・ とても眠くなったけれど眠ったらやばいと抵抗したが、結局寝る。
・ 2時間後に目が覚めるとネパール人はいない
・ 彼は何も盗まれていなかった
・ 私も「何も盗まれていない」と言った ← 実際その地点でどうだったかは不明
・ 彼は眠いので宿に帰るといったが、私は「今日1日しかないからもう少し見て回る」と言った。

とのことだった。

(この話からすると、ネパール人は我々がそれなりに意識があるように見えたので盗むのをあきらめて、私が一人行動はじめてぶっ倒れた後に誰かが盗んでいったという可能性もある)

人生とは数奇である。

彼は宿に帰ると14時間眠り続け、起きた後もおかしな意識状態だったという。私は2日間近く記憶が飛んだ。もし一人であのビールを飲み干していたら、後遺症が残ったかもしれないし、更にはもう目覚めなかったかもしれない。カーリー寺院に唯一いた日本人がたまたま自分たちの目の前に並んでいて(前日、彼はブッダガヤの日本寺で共に座禅をしていたことが後で明らかに)一緒に来たがったという要素が重ならなければどうなっていたか。
(むしろもう少し警戒して事件にはならなかったかもしれない)

大学生のときに交通事故で入院したことがあった。事故の前からしばらく記憶が飛んでいた。その体験を通して実感したこと。人生なんていきなり簡単に終わってしまいうるものなのだということ。死ぬというのはあのまま意識がもどらない、それだけのことなのだということ。それを今回も思った。

私は、2日後に、サダルストリートの宿のベッドの上で目が覚めた。
宿の人がタクシードライバーにお金を払えと言う。何の話だが全く分からないのできくと、どうやら私はその日の朝に「空港に行かないと」と、てぶらでタクシーに乗って、そのまま引き返してきたそうだ。そのような記憶は全くないが、周りの人の証言から事実のようだったので、人にお金を借りて払った。

盗られたのは現金と一眼レフカメラのみ。財布はチェーンでズボンにつけていたからか、盗られず。リュックの中身やクレジットカード、パスポートは無事。人目が合って、盗む時間がほとんどなくて残していったのかもしれない。ともあれ、それらがあったのでその後の旅の遂行自体は簡単で助かった。

人に聴くと、どうやら事件日の夜中の2~3時に、人に連れられて私は帰ってきたらしい。
自分がどこに泊まっていたのかを伝える事はできていたようだ。

2日間の間、朦朧とした、断片的な記憶がなくはない。
目が覚めるもののどこにいるのかよく分からない。なんとなく警察に行かねばと思う。しかし、隣のベッドの人に止められる。昼の0時だと思っていたのは夜のそれだったのだ。そして寝るが、一時間後にまた同じようなことをしようとした。あと、トイレに行って吐いたりした記憶があるようなないような。

周りの人には迷惑を随分かけたが、荷物を置くために共同部屋のドミトリにベッドを取っていたのが幸いして、なんとか皆に支えられながら意識を普通に戻すことができた。感謝である。

意識がある程度戻った翌日に、被害にあった日本人と警察に行った。
状況説明を口頭でした後、文書で私が書く。それを警察官が清書する。そしてランチを食べた現場に、格子つきの囚人収容車みたいなので行って様子をチェック。署に戻ってさらに清書。これで5時間経過。しかし、ここにきて同行者は「あの公園では寝ていない。3人は違う公園に行ってそこで寝た。」と言う、私がそれまで知らなかった話をした。
警官はちょっといらっときて、「それが本当なら、全部書き直しでまたその現場に行くことになるがどうなんだ」と言う。面倒だろう、やめとこうぜ、とう視線を感じる。確かにもううんざりだ。目的はポリスレポートをもらうことなので、「いや、さっきの話が本当ということで」ということに。どうせ犯人なんて見つける気はないんだろうなあと思った。だって、犯人の様相として聴かれて説明したのはたのは幾つくらいかと、めがねナシ、色黒い、中肉中背で背は高くない、髪はちょい後頭部はげかけ、と服装くらい。その半分は私が自主的に言ったものだ。しかしまあインドにどんだけそんなやつがいるねんと。もっと役に立ちそうな、彼のとった夜行列車の予約したシート番号をしっていたので教えるも不要と言われた。指紋だっていくらでも取れたろうにしないし、本気で犯人を捕まえる気がないのは明らかであった。 彼の写真はカメラごと消えたので提出できず。

さて、ポリスレポートが取って空港に行ってシンガポール空港に情状酌量の新チケットをもらってさっさと帰国したいと思っていたが、すべての作業が終了したらもう夜だったので、やめた。全部で 6~7時間かかっていたが、そのプロセスの遅さにまったくいらつかなかったのは、クスリの作用で時間の経過が普段と同じに感じられていなかったからだ。丸2日たっても消えない薬効。いったい何を飲まされたんだ。

まあ、二人もいて警戒心を働かせなかったのはからが旅人として見える能力に相当長けていた問いのもあるが、二人とも抜けていたのも確かである。

今後の旅行に置いての人間不信度が極度に高まることが予想される悲しい出来事であった。

でも、本当に悲しかったのは、信頼というものにつけこんだ彼のこと以上に、旅の無事を祈ってくれている人がいるというのを知っていて、リスクと分かっている行動を自分が取ってしまったことだ。
これは大きな悔いであるし、お詫び申し上げたい。

写真は警察と現場検証時に携帯で撮った写真。(日本の)携帯も盗まれなかった。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

mixiから来ました。
私もバックパッカーでインドを旅行したことがあり、幸運にも何事もなかったんですが、それは本当に幸運だったに過ぎないのだと思いました、、、私の経験と重なるようなシチュエーション、重なるような思考回路、発想があり過ぎて、はっきり言って読んでいて恐かったです。。
また、旅行中ではなかったのですが、インドでバイクの2人組に引ったくりに遭い、ショルダーバッグをまるごと盗まれたんですが、ひったくられた反動で激しく転倒し、このとき、運悪く頭など打ち所が悪ければ、ひったくられた上、死んでいたかもしれないと思うと、toshさんも同じように思われたように、今生きている日常と、死ぬということは、それほどかけ離れた事象ではないんだとよくわかりました。。
多くの人が、toshさんの投稿に目を通してくれるといいですね。
(投稿を見ていると、いかにも不注意そうな人がたまにいるので。。。)

tosh さんのコメント...

KIMIさん
コメントありがとうございます。
私は結構各地で犯罪に巻き込まれていますが、それ以外でも「一歩間違えれば・・・」というシチュエーションはもう数えきれないほどにあったと思います。
KIMI さんのひったくりの件も、色々な偶然?の組み合わせでその事故にあって、また組み合わせによって、命に別状はなかった・・・ということですよね。その偶然は本当に偶然でしかないのか、などとつい考えてしまいます。(よく宗教で言われている、何かによって「生かされている」という感覚を持つことをすごく理解できてしまうし、逆にそんなものはないという冷たい世界も感じてしまう)

ただ、どうしようもないケースはあるにしても、リスクを最低限まで減らすことは可能です。このケースを知ることで一人でもこういった被害にあって大切なものをなくさないで欲しいと願っています。
そして、犯罪者が稼げないようになって欲しい、とも一方で思います。

スワン さんのコメント...

誘導ありがとうございました。
こんな命にかかわるような大変な目に遭われたのに、文章からユーモアが感じられるのは、toshさんのお人柄ですね。
騙されたのは自分が甘かったのだと、あまりご自分を責めないでくださいね。

私がインド旅行に参加するしても団体行動なので、犯罪に遭う危険は少ないと思いますが、十分気をつけようと思いました。

どなたかは言えませんが、パリ16区で、バイクに乗った引ったくりに遭い大怪我を負った話を、ご本人からお聞きしたことがあります。
犯罪被害はどこででも、誰にでも起こりうることで、注意しても仕切れない面もありますね。

人の信頼を踏みにじるような犯罪の話は、私も悲しくなります。
そのネパール人がいつか、toshさんを騙したことを後悔する日がくるかもしれませんね。と考えるのは甘いでしょうか。

私も、知らない人に親切にされたら、つい騙されてしまいそうです。これから気をつけようと思います。

パリで困っている旅行者を見かけると、時間がある限り、なるべく助けることにしているのですが、時々、騙そうとしていると誤解されたら嫌だなーと自分でも思うことがありました。

あと、私が低血糖(貧血?)で倒れるときって、不思議と気持ちが落ち着いていて(死ぬってこんな感じかなー?)とのんびり思ってたりするんですよね。
人の死って、意外と近いところにあるという意見、私もそう思います。
だから(いつ死んでもいいように?)なるべく周りの人に親切にして、人に意地悪な気持ちは持たないように生きたい、と思うようになりました。
とりとめのないことを、失礼しました。

tosh さんのコメント...

スワンさん
コメントありがとうございます。

人の信頼を踏みにじるような犯罪は、本当にやめてほしいと思いますが、残念なことに、彼らの生きている世界を理解している訳ではないので、手放しに責めることもできず。
悲しいけれど守るものがある場合には、自衛しなければならないなと感じました。

少なくとも我々は人を裏切らないように、頑張りましょうね。
意図してないところで裏切りになってしまうことを全部排除する自信はありませんが、最低でも分かっているところは。

インド旅行、楽しんできてください。
団体ならかなり安心だと思います。(逆に気を抜かないようにしなければなりませんが)