
なんだかこのあたりの記憶ははっきりせず、前後関係とかがしっかりしていない。睡眠薬を飲んで以降、色々と活動しているのに記憶がなかったりする。(睡眠薬というよりは麻薬的な何かが入っていたのかもしれないし、アルコールとの相乗効果が悪さをしたのかもしれない。一緒に飲んだ彼も「起きた後床が回っていた」というようなことを書いていた)。
例えば、薬を飲まされた翌日(=家に昼にはついている予定だった日)の夜に、姉(多分家族全員に送るつもりでミスったんだと思う)と妻に、睡眠薬詐欺にあって

メールは、めちゃくちゃな日本語で書いてあり、その時の意識の異常っぷりが分かる。姉は文字化けのせいだと思ったようだ。
(一例)
>ごめん今日k等たかえれにあ
>ちおおども金無無すまれた+¥+
こんなおかしなメールを送れば余計心配させる要素だし、「明日の便を買う」と書いたのに、そんなことは忘れて翌日行動していて、色々と心配をかけてしまったようである。
事件から3日後にようやく意識がまともといえる状態になった。マザー・テレサが活動してい

シンガポールから香港へは空席がなかったが、スムーズに乗り継げる席があるのは2日

せっかくなので、コルカタもちょっと散歩してみることにして、セント・ポール寺院、ヴィトリア記念堂、モイダン公園を北へ縦断。どれもそこそこ。公園では誰も彼もがクリケットをしていた。
一眼レフカメラがないと身軽でやっぱり歩くのが大変楽だし、いちいち写真撮りたくならないので、なんだか行動も速い。昔はこういう旅をしていたなあ、ということを思い出した。

もう日も暮れてしまった。デリーより東にある分、夜が早い。宿の近くに戻ると「同居人が心配して探していたよ」と前の宿で一緒だった人に声をかけられた。朝、「散歩してくる」という置手紙と一泊分のお金だけを残して、まだ寝ている彼を後に宿を出たが、確かに散歩にしては長すぎだ。宿に戻ると、その日の彼の予定がドアに貼ってあり、ドアの鍵は閉ざされていた。一旦外に出て家族にあらためて連絡したり、お土産を買ったりした。道を歩いていると宿の近くの旅行代理店の人が声をかけてきた。ずーっと寝ていた私の顔を知っていて、「注意喚起をしたいから事件の詳細を聞かせてくれ」と言われて、色々と経緯説明をしたりした。何か彼の知っている情報をくれるかなと期待したがもらえず。
宿に戻ってもまだ彼は帰ってきていなかったので宿の主人としゃべったりして時間を潰す。そして合流して出発の準備&夜ご飯を食べる。もうフライトの時間が近かったが、彼が持っていたいいにおいのするサンダルウッドの木片が欲しくなって、マーケットに買いに走る。思ったより高い(50-200Rp)。「彼の持っているのは質が悪いから安かったんだ」とか、失礼なことをずばずばいう。

サンダルウッドと呼ばれるものは、ビャクダンのことだとは帰国してから分かった。本物かどうかは分からないし、判別は難しいらしいので、これは本物、と自分に言い聞かせている。
そんなことをしていると結構、いい時間になっていたので、宿の主人に(安くはないだろうが)信頼できるタクシーを教えてもらって、空港へ。事件後、変なところでぶっ倒れたりしていたからだろう、靴や服がとても汚くなっていた。飛行機に乗るとそれが気になってきた。
財布を落としても戻ってくることを期待できる国に帰ってきたのだ。
人を疑わずに安心して生活のできる幸せをこれほどに感じた旅行は今までなかった。
・ その他 コルカタのメモ

・ コルカタの喧騒はものすごいという噂を聞いていたが、そんなことはなかった。信号もデリーより多く機能しているし、ドライバーのマナーも中国平均よりいいだろう。道横断できないようなフェンスもあるし、物乞いや路上生活者も特段多いように見えない。かなりの努力の成果だろうが、旅行者の行くような行動範囲は少なくとも昔とは状況が変わっているようだった。
・ ところどころ道沿い水栓から水が放出されているところがあり、人がそこに集まり手で歯を磨いたり身体を洗ったりしている。その水は当然道路脇を流れてゆく。
・ お前の着ている服をくれというおじさんに遭遇。物乞いではない。だめもとだろう、「お前の持っている○○をくれ」と言ってくる人に何人か遭遇した。あいにく旅には

・ このベンガル地方ではヒンドゥーの勢力も弱いのか、マーケットや街で牛を解体している姿を見る。しっぽや顔にはまだ生きたままの姿で生々しい。教会も多く、東インド会社が置かれていた趣が残っていると思った。
・ 同じく大都市であるデリーよりも人々が人懐っこくて温かみがある気がした。お金目当てでない人がよく話しかけてくるし、写真を撮ってくれと言われたりすることも多かった。デリーが東京ならコルカタは大阪のイメージ。
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