2008年12月11日木曜日

インド: ヴァラナシ

・夜行電車でヴァラナシ(Varanasi / ベナレス)へ

夜行電車は 3A クラスというエアコンつき3段ベッドの寝台の一番上をネットで予約しておいた。エアコン付き車両は(エアコンの不要な季節でも)値段もエアコン無しの倍以上するが、その分治安がよいのと、エアコンなしは朝以降混むらしかった(実際はSLクラスはそうでなかった)ので、昼着までの長い道中に疲れないようにそうした。そこそこ清潔なシーツ、布団、まくらと食事がつくのもこのクラスから。予想外に夜が冷えるので役に立った(SLクラスに乗ったガヤ→コルカタ 間はつらかった)。

寝台はそこそこ快適であった。ベッドの長さはかろうじて足を伸ばせるか否かという程度だが、横幅はそれなりにあり、昨夜の宿よりマットが快適でシーツも布団も綺麗だし、蚊がいなく騒がしくない分よいくらいだった。昨晩眠れなかったせいで爆睡。朝にはほとんどの乗客は下車済みでのんびりできた。到着は予想通り遅れまくり。ただ、3Aクラスは車掌が乗客の面倒を見てくれていて、「~くらい遅れている」とか「あと○分で着くぞ」とか教えてくれる親切だった。

インド旅行で苦行を敢えて求めない人には絶対3A以上をお勧めする。種々リスクを考慮したらこっちの方が安くつくのではとも思う(私の強盗ケースでも、コルカタに行く際も、SLに乗っていなければ強盗につきまとわれなかったかもと思っている)。



・ ヴァラナシの困ったリクシャーたち



ヴァラナシ駅から、旅人の目的地であるガンガー付近までは徒歩で1時間くらかかるので、リクシャーの助けが必要になる。ちょっと高めだがプリペイド価格がリクシャースタンドに書いてあるのでぼられることは少ない。しかし、プリペイド価格が掲示されているというのは、ここの彼らにまつわるトラブルが多かったからだろう。そして、それは過去の話ではなかった。

彼らはコミッションのもらえる場所(多くは宿)に連れて行くことしか考えていない。私は変なところに連れて行かれたくないので、路地に入り込んで分かりにくくなる前にある交差点まで行くことをお願いする(そこから先はオートリクシャーは進入禁止)。しかし、「最近ある地区は野犬に噛まれる事故が多いから安心な場所に連れて行ってあげる」とか、「その交差点付近は治安が悪いからホテルまで連れて行ってやる」とか、乗り込んだ後に延々と言われて出発すらしない。出発させるために「ホテルの予約はもう取ったし、治安の確認もした。だからとにかく行って」とか、何度も言っているのに、頑として出発しない。「親切心で言っているのになぜ?」「お前は日本人なのになぜ冷たい?」とか本当にしつこい。

「つべこべ言わず今すぐ出発しないと降りる」という警告を何度も無視したの2つのオートリクシャーをあきらめて捨てて、道に出て流しのリクシャーワーラーを止める。20Rpで交渉がまとまると彼は黙々と仕事してくれ、寄ってくる客引きを振り払ってくれた。やはり流しに限る。

交通渋滞の中をゆっくりながら順調にその場に到着し、気をよくしてチップをあげてもよいかなという気にもなっていたが、最後に試したくなって交渉の値段 20Rp(オートリクシャーで50Rpがプリペイド価格) ぴったりで持っていたのに 50Rpを渡してみた。お釣りが少なかったら寂しいなと思っていたが、それどころではなく、お釣りを返さずに去ろうとしている。ちょっと待てと。しかし彼は英語が分からないという素振り。近くにいたインド人が仲介に入る。そして、この距離は「20じゃ可哀想だから 30だね」とまとめた。なんだか納得いかないがことを荒立てたくなかったのであきらめる。

仲介人はでもその後、宿とお土産屋の紹介屋に即変してうるさくつきまとってきたので、近所のレストランに逃げ込む。そこは歴史のあるベジタリアンのお店で、そこで食べたカレーは「肉なしでこのコクが出るのか?!」というおいしさだった。中は綺麗なのに窓際にネズミがいるなあと思っていたら、違う客がそれをボーイに指摘。追い払っていた。


後で旅行者に聴くと、やはりヴァラナシ駅前のリクシャーには皆苦労したようだった。

・ ヴァラナシ ガンガー付近 第一印象


ヴァラナシは噂通り混沌。河近くの古い街の道は細く迷路状になっており、とても迷いやすい。そこを様々な動物や人間が行き交っていて油断ならない。屋上に行けばサルが、地上では犬に噛まれるという事件もあるようだ(噛まれたら狂犬病予防が大変)。


宿に荷物をおいてさっそくガンガー(ガンジス河)を眺めに行く。ガンガーの水は期待通り汚い。しかし、第一印象はそれだけ。よくある汚い太めの河。岸の片方は密集した建物と階段状のガード、対岸には見事に何もない というシチュエーション以外特別なものは感じなかった。

各種死体を含めたありとあらゆるものが流れていて、河イルカも現れたりして、向こう岸には人骨があって・・・というような情報を、過去の旅人からもらいすぎていたため、行ったらすぐに驚愕!的な何かを求めすぎていたためだろう。


・ ヴァラナシのマッサージ屋 ★★★★


歩いていると、握手を求めてくる男がいる。マッサージ屋である。彼らは握手を求めてくるところから勧誘をはじめることにしているようで、「頭と肩マッサージしてあげる。10Rpだけ」と言っている。ちょっと凝りがあったのでやってもらう。


自分はアーユルヴェーダマッサージを世界で教えているとか、ウソ純度の高い話を何度もしている。動物やその糞に囲まれてマッサージというのはあまり落ち着かないが、実際のところ期待以上にうまかった。途中からシートの上に横になれと言われる。そうして腰や足のマッサージが始まったときに、これは 10Rpですまないなと思ったが、やはりそうで、「happyになったらお金をたくさんくれ、200とか...」と相当に桁の違う話に変わっている。結局 30分くらいやってもらった。押し売り状況ではあるが、実際にうまかったのでその技術と労働力と満足度を計算して悪くない額であろう 50Rpをあげた。彼はあと100・・・などとかましていたが、50Rpに満足している表情と態度が目に取れた。


他の旅行者がこの段階で「10Rpって言ったじゃん」と10Rpだけ渡したら「死のマッサージくらわせたろか」的なことを言われたという話が情報ノートに書いてあった。ここはインド、言い値で済むわけがない。最初の話(頭と肩)と内容が違ってきた時点で確認しなかった自分も悪いんだから、満足分の額を乗せてもいいのでは、ちょっと思ったりした。


味をしめて、次の日にも受けてしまった。この時は頭と肩+腰 の地点で二人目が登場して足をやりだした。もう満足だったので、終了。量的に初期提案の 1.5倍と思ったので 15Rp あげたら、1人は No! と言っていたが、もう1人は珍しくも 即Ok! だった。金額に満足したとしても取れるもんは取っとけ的に試してくるこういう人たちにしては本当に珍しいOk! であった。

・ ガンガーの反対側
★★★★


不浄の地とされるガンガーの向こう側に渡りたいと誰もが思う。聖地側を見渡せるのは向こう岸からだからだ。
しかし、へたなボートに乗ると向こうでトラブルに合うというような話も聴くし、一人だと値段交渉も面倒なので、インド人の集団にまぜてもらった。これならボートマンも小遣いが増えて気持ちいいだけだし、帰れない的な話にもならないだろうと。


外国人のシェア相場価格の半分くらいで交渉まとまり出発。向こう岸で「さっきの値段は片道のだよ。帰りたかったら・・・」とか予想通りのことを言い出すが相手にするのもバカらしいので無視。帰るとお金渡して、ありがとはいさよなら、こういうときにぴったりのお金がないと面倒なことになるので、インドではかなり頑張って小銭を集める(お釣りを持っていない人が多いので結構大変)ように心がけていた。


反対側に降りるには、ボートの着岸地点から裸足でガンガーの水に浸って歩いていく必要がある(ガンガーの水に浸ったのはこれが最初で最後)。海のように細かく、しなやかな砂を踏みしめて少し散策をする。雨季には多くが水没するであろう砂浜の向こうには潅木が見え、その先が気になる。しかし、それを覗くには時間が足りなさ過ぎるし、危険そうであるので、ぐっとガマンして狭い範囲を動き回るのみ。

水浴びを終えた水牛の群れが、対岸の彼方へ向っていた。

野犬が集まって何かを食べていた。

子供たちが凧揚げしている。

何でここにいるのか分からない人たちがぱらぱらといる。


夕日を背景にした聖なる街のガード(沐浴するために岸に作られた階段)を見たときに、ヴァラナシに来て初めて、ここがとても特別な場所だということを実感した。

・ ヴァナラシの夜 ★★★


日が沈むと、プージャー(お祈りの儀式)がメインガード(ダシャーシュワメード・ガート)付近ではじまる。火をふんだんに使った儀式である。1日目は、舟で正面から見た。2日目は横~後ろから、2日とも見続けた。


通奏の鐘が幾つも上に張られた糸につりさげられ、紐をうまくコントロールすることで鳴らされていた。一人の少年が飽きた感じで鐘を鳴らしていたのを見て、「や・ら・せ・て」と目でサインを送ったらその役をやらせてくれた。うまく音を鳴らし続けるのは意外と難しく、なんだか楽しかった。何を祈っているのかも分からないで申し訳ないが、人が祈ることなんてステレオタイプ、お寺の朝課で木魚を叩くのとそう遠くない世界だろうと思いつつ。


対岸から流されていく無数の鎮魂の?灯篭の火が美しい。
入り組んだ路地はメインの通りから一本奥に入ると暗く、人気がなくなるため、犯罪がしやすい。実際に色々なトラブルがあるらしく、深夜外出禁止の宿も多い。私の泊まったところ(景色がよかったので一泊70Rpの快適なドミトリに泊まった)も 22時で閉門。ヴァラナシでは日の出前から活動するのでどちらにせよ早寝。

ヴァラナシの朝 ★★★★★
朝は暗いうちから祈りの声と鈴が響きわたる。部屋の窓のすぐ外でやっているので自然と日の出前に目が覚める。



ヴァラナシといえばその日の出。沐浴も朝が一番さかんである。ボートでガンガーを行くのに最適な時間である。


前日にボートマンを、日の出30分前の6時からということで宿でお願いしておいて、同じドミに同じに日に着いた人を誘っていった。何かあったときに責任をとってもらえるからそうしたのだが、これが間違い。ボートマンは寝坊して散々遅刻した上に、我々をボートの上に載せた後にチャイなど飲んでゆっくりしている。我々の「コーヒーを飲まないと1日が始まらない」的感覚なのかもしれないが、日本人感覚ではなんと大胆不敵なである。日の出前の美しいマジックアワーこそが空の美しい時間帯のに・・・でも、なんとか日の出前には出発。

しかし、そんなじれったい気持ちは出発してすぐにふっとんだ。朝焼けの景色がとても美しい。朝日の昇る不毛の土地も、朝日に照らされる聖なる街も、風景として、美しい。そして、昇り始めた朝日に向って沐浴する人々の姿。宗教が生きている。なるほどここは聖地なのだ、とここに来て体感された。


それにしても、やはり観光客ボートは多い。ボートは沐浴する人に再接近はしないが、多数の人がカメラを向けている時にそれを意識しないでいることは難しい。アフリカのサファリと同じことを感じてしまった。見たいのはやまやまであるが、被写体を尊重して静かにもしてあげたいというジレンマ。いずれにせよ、少し凍えながらも、素敵なボートトリップを終える。


ボートマンは散々遅刻して「朝ごはん食べてないからパワーが出ない」とかは言うのにほとんどガイドもしなかった上に1時間の約束が50分しか漕がなかったくせに「よかっただろう、チップをくれ」とかほざいてきたので、彼の良くなかった点をずばずば言って「本当は約束のお金も払いたくないところだよ」、と正直なところをお伝えした。冷たい言葉もインドで英語だと簡単に出てきてしまうのがちょっと怖い。


さて、戻って一人歩きしているとまたボートマンに舟乗らないかと誘われる。が、その舟のすぐ先に、人間の死体がひっかかっていた。それが、ガンガーに浮かぶ始めてみた人間の死体。横を向いて、手足を屈伸した状態で、服を着た老人のようだった。それを見ても、感情は動かなかった。それは、ここがヴァラナシだからなのか。多分違うと思うが、正直なところよく分からない。私は彼に「その死体どけたほうが客つかまりやすいよ」とアドバイスしてあげなかった。

・ サールナート ★★


仏教の4大聖地の一つであるサールナートはヴァラナシから車で30分程度の場所にある。

ブッダガヤーで悟りを開いた仏陀が聖者の集まるヴァラナシをめざした末、ここに落ち着いて、最初の説法をしたとされている。その時に耳を傾けたのは、5人の弟子たちと、森に住む鹿たちだったとか。宿にあった手塚治虫の"ブッダ"のそのくだりを読んで気分を盛り上げる。1年ほど前に再読したこの漫画であるが、やはりご当地で読むとまた実感力が高まる。

ここは、相当に気持ちを盛り上げていかないと、"芝にねっころがるのが気持ちのいい小さな遺跡"で終わってしまう。仏教を愛する私が気分を盛り上げていっても、それで終わってしまった。


しかし、鹿が説法を聞いて感化されるなんて話は、真実だったとしても伝承しないほうが、より仏教を愛せたかもしれない。

・ 黄金寺院(ヴィシュワナート寺院) ★★★


黄金寺院と言われる聖地中の聖地。その名の通り、1トンの黄金で固められた塔がある。ここの警備は今まで見たどの観光地よりも厳しい。エルサレムよりも、である。ほぼ何も持ち込めないので預け入れをし、さらに二人のボディチェック。そうしてセキュリティをくぐっても、残念ながらヒンドゥー教信者以外は寺院の中に入ることができない。外壁の上から見られる部分を拝んで終わり。確かに黄金色の塔があった。


雰囲気も装飾も素敵そうな場所で残念であったが、確かに観光客に大切な場所と時間を荒らされないように守ることも大事だろう。

それを思い知るためにここに来るのも悪くない。






・ 火葬場 マニカルニカー・ガート ★★★★★


火葬場に路地側から陸路で行く。道は入り組んでいて、誰かに聴かないとまずたどり着けない。周囲の路地にはヒンドゥーの象がたくさん置いてあり、ネパールのカトマンドゥ周辺と似たような雰囲気であった。ガイドしたい人が「カソーバ?」とか「burning place?」とかいって声をかけてくる。振り切って着いた場所はあまり観光客のいないところ。


そこから火葬を眺めていると、少年がやってきて「その場所は観光客に開放されていないからこっちへ来い」という。いくと面倒なことになるのは知っていたが、少しだけつき合う。彼はがらんどうの家の3階に連れていく。


そこには老婆が独り寝ている。そこから火葬場を見下ろしていると、彼はここはホスピスで、この老婆は死を待っているが薪代を必要としている、という。なるほど寄付したくなるストーリーだが、こんな建物で、しかも独りしか人がいないホスピスなどあるまいよ。これは、ここはホスピスなどないし老婆と少年はグルで、逃げられない場所に追い込んで法外な薪代を要求するという詐欺である。宿にあった情報ノートで知っていたので、途中で仲間が登場して雰囲気があやしくなったときに2Rpだけ老婆に渡してダッシュで逃げた。大声出しながら追いかけてきたけれど、すぐに人のたくさんいる場所にいけるので怖くも無い。


しかし、いかにももう死を直前にし、「もうここで死んで焼いてもらう以外に本当に欲なんてないんだろうなあ」というように見える老婆が、外国人から法外な金を巻き上げる詐欺の片棒を担いでいるなんて、いったいどこまでインドなんだ、と思わせる。


そして、観光客の多い場所に行く。配慮してか、皆、現場から距離を置いたところで見ている。そこで私も、他の人と同様に、人間の焼けていく様子にかなり長い間、釘付けになっていた。白い布に覆われた死体が重ねられた薪の上に置かれる。その上に炭と籾殻のようなものを撒いて、火をつける。燃えるのには時間がかかる。布が焼け落ちると顔などがはっきりと見える。人だったものが物質になってゆくのをただただ見ていた。炎のすぐ横を飾りであった花や燃えていない藁を食べに来る牛、ヤギや犬がうろついている。凧揚げに興ずる子供たちはここにもたくさんいて、糸が燃えてしまわないか心配になるシーンもたくさんあった。

一時間半ほど呆けていたところで、一人のインド人が話しかけてきた。「これを見てどう思う」という難しい質問を投げてきた。どう答えていいのか全く分からず「それに答えるのは難しい」と素直に言った。すると「どう難しいの」と意外な追求が来た。実際のところ、思考は働いておらず、すぐに言語化できるような何かその時に何もなかった。「難しい」と言っているのだから何も答えないことで回答になるのではないかとも思ったが、彼がずっと答えを待っているので、「こういうシーンは今まで見たことがなく衝撃を受けている」と最初に浮かんだ、その場しのぎだけのまったく適当な回答を口にした。


今までどんな回答を観光客からもらったのか、私が逆に聴きたいくらいだった。


彼は私の滞在期間をたずね、それに「それだけではだめだね。ヴァラナシを理解するには、長い日数が必要だ」とまた返してくる。


観光客をカモにするやつらを振り払いながら長い時間こういう景色を眺めれば何が分かるというのか? 現地の言葉も分からず、現地の生活もせず、まったくすべてが違う国に家のある我々がここで日数を重ねたところでどうなるのか? これもまた、尋ねてみたかった質問だ。


さて、彼はそののち先に私が絡んだあの少年たちは嘘つきだから要注意だとか、火葬はもっと近くで見ても遺族は気を悪くしないよ(なぜなら君たちはゲストだから)とかいう情報をくれた。でも、結局最後には今、聖人が来ていて手相を見てもらえるよ、という話に。まったく押しつけがましくなかったが、観光地で占いを誘ってくる人は要注意であるということはよく知っている。お前もかという感じである。これをきっかけに帰ることにした。彼がこなければもっとずっと呆けていたに違いないと思う。


去り際に、火葬現場のすぐ近くにいたインド人達にちょっとこいよ、と声をかけられた。興味深い話を聴けるのかもしれないが、最後にはすべてお金の話に行き着くことにそろそろうんざりしてきたのでスルーして日の暮れた街を宿に引き返した。


・ 電車チケットの予約


電車のチケットを予約しに、外国人専用窓口に行く。ここは部屋になっていて、エアコン着きでふかふかの椅子に 座って待てる VIP な環境。しかし、進み方が尋常でなく遅い。私の前に2組の待ちがあっただけなのに、その発券処理が終わるのに、数分の停電を挟んで1時間近くかかったのだ。私は分はもう電車が決まっていたのだが、それでもお釣りがないとかで処理に5分かかる。きっと前の人たちは旅行相談所的なことになっていたんだろう。待ち人の量の増加に気を遣ったほうがよいのではとも思ったが、まあ、時間の惜しい人はこんなところに来ないでネットか旅行代理店で調べて予約するだろう。ここに来るのは、チケットの窓口予約自体を旅の1プロセスとして求めている人や、あるいは、他の旅人との出会いを求めている人などだろう。


・ ヴァラナシ 最終感想・沐浴


ヴァラナシに来たからには沐浴をしなければという話もあるが、私はしなかった。水質が沐浴に適していないことは実証されているし、沐浴後に体調を崩した旅行者も多くいる。今回は短期旅行なので足止めはされればそれで終わりになってしまう。移動が多く疲れ気味で抵抗力も落ちているだろうから、リスクは取りたくない。そして、リターンである「それまでの罪が洗い流される」についても、私は輪廻を信じているわけでもないし、それがあるならむしろ罪は背負っていくべきだし、欲しているわけでもない。

経験として興味がないことはもちろんないが、やめることにした。


しかし、ヒンドゥーにおいて罪とはなんなんだろう、と思った。インド人は嘘をつくことに関しては日本人ほど罪と思っていないというのは、いくら観光客がそういう人にとりわけ取り囲まれるとしても事実と感じる。悪い外国人からお金を取り返すのがより崇高な目的を達成するための必要悪とでも思っているのかもしれない。かくいう自分が、自己防衛として頻繁にウソを言っているように(宿は予約済み、とか、こないだ乗ったリクシャーはxxRpでそこまで言ったよ、とか)。いずれにせよ、宗教が分からないと理解しづらいものがたくさんある。もう少し勉強してから来ればよかった。


ここヴァラナシでは、母なるガンガーの懐に抱かれるために遠くから人が集まり、沐浴をし、死を待つ。コルカタのカーリー寺院では今でも毎日ヤギの首を刎ねる生け贄の儀式が捧げられている。
彼らはその行為によって神から実際に何かを与えられているのか。我々が考えるような物質的な、観測可能な観点ではきっとノーだろう。しかし、それらの行為の是非に疑いのない世界の中に浸り生きることができた人にとって、宗教に生きることそのものが心の支えであり、幸福の源泉となる。人は神に祈ることで幸せをさずかるのではなく、祈る行為自体が幸せの形なのだ、と思う。

そういう幸せをとてもたくさん見ることに、見せ付けられることになった、ヴァラナシであった。


以上は、ヴァラナシを出てからの感想である。実際にその地にいる時には、様々な勧誘が待ち受けており、河畔で気分に浸ることは難しい。聖地を食いものに観光客を狙う人々のために、絶えず緊張を強いられる。誰かが話しかけてくれば、最初は高尚な話でも最後は金くれや話に落ち着く。やれやれな世界ではあるが、聖も俗も、人も動物も、めちゃくちゃに入り混じった世界。それがヴァラナシの魅力なのだろう。



インド of インドとでも言えるようなここを、旅人の多くがインドでどこよりもこの場所を旅先として勧める理由が分かった気がする。タージマハールの感動は他の場所でも味わえる種のものであるが、ヴァラナシで味わえる感覚は、他のどの場所でも得がたいものであるからだ。


・ ヴァラナシで出会った人達


・ ヴァラナシで出会った人達1 「ぼけぼけの旅行者」

2日目の夜、独りで夜ご飯を食べ終えると、その出口で、昼の駅のチケット予約場所であって待ち時間に少しだけしゃべった日本人の一人旅女性に偶然あった。彼女は「私、ここに泊まっているはずなのに違う!」と意味の分からないことを言って途方に暮れている。話を聞くと、ガイドブックにも乗っているそのゲストハウスに自分は宿を取ったつもりでいたが、どうも実際は違うところに泊まっているとのこと。どうも、リクシャーに頼んだその場所と似た名前だけれど違うところに連れていかれ、それに気付かずに宿を取っているようだ。



二泊目の夜にしてようやくそれに気付くぼけっぷりに関心したが、聴くとやはりこれまでも散々やられてきたようだった。夜の独り街歩きは迷いやすく、女性一人では気持ちのいい散歩気分にもなれない場所なので、その宿を探す旅に付き合うことにした。聞き込み回数数知れず、途中で結婚式会場などに紛れ込みつつ、結局、メインガードから徒歩 30分の僻地にそれは見つかった。

彼女はやっとインドで人を疑うということを覚え始めたようだった。無事宿にたどり着くと、そこから私が見えなくなるまで長い間手を振ってくれた。

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