2008年12月12日金曜日

インド: ブッダ・ガヤー

・ ブッダ・ガヤー Buddha Gaya ★★★★
バスと乗り合いリクシャーを乗り継いで、仏教最大の聖地、ブッダ・ガヤーへ。行きと同じバスに乗ったはずが、乗客がすし詰めでなく、意味不明の停車もなかったので行きの半分の時間もかからない。順調に、2600年ほど前に、ブッダが悟りを開いたという場所にたどり着いた。

もう夕方。一泊なのでと近場に宿を適当にとって、さっそくかの地であるマハーボーディー寺院へ。

周辺の僧侶の密度はさすがにラージギルのそれとは比べ物にならない。仏教僧に囲まれていると、なんだか安心できる気がする。

マハーボーディー寺院の外で、ゴミ袋を持ってゴミ箱に向かう少年を見た。掃除をしているのかと思ったら違う。ゴミ箱から何かを回収していた。なんだったんだろう。

そういえば、インドでは屋外のゴミ箱という物を見た記憶がないな、と思った。

最終日、コルカタの宿であまりに汚くしかも穴の空いたなった靴下を捨てようと見渡すもゴミ箱がない。宿の主人に聞くと「外に捨てて来い」という。外に行ってみてもゴミを捨てるような場所は無い。近くの人に聴いてみると、「道に捨てろ」であった。それはまずいだろう、と思うが道は意外と汚れていない。
そういえばデリーのメインバザールでは、毎朝掃き掃除を皆でしていたな、と思い出す。皆、道にゴミを捨てるけれど、それを集める仕事があってなりたっているのかな、と思ってインド式にしたがってしまった。
無論それは都市部だけで、田舎ではどこに行っても打ち捨てられたゴミがいつも視界に入る。

・ マハーボーディー寺院 Mahabodhi Temple ~蚊の地 ★★★★
寺院は入場無料(カメラ持ち込み料20Rp)。
ところどころ Complete silence の掲示があったが、お経は silence の一部と認識されているようだった。大変厳かな雰囲気である。

無数の僧侶。周辺部には五体投地用のシートが置いてあり、多数のチベット僧が黙々と身を投げ出している。
その先には、ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹。樹齢が2600年は最低でもいっているはずで(ちょっと信じられなかった)、人工的な支えにも守られていた。

かの菩提樹の下にはたくさんの人が瞑想をしていたり、講和をしたり、お祈り?したり。様々な国の仏教徒が、様々な形でブッダに敬意を表していている。

それでいったい皆は仏教に何を感じ、何を求めているのか?
同様に、この場所に何を求めて来ているのか?
ということが、人々のあり方があまりに多種で想像がつかなかった。

熱心に座禅をしている人は、"その境地"に達するモチベーションをあげに来ているように見えるし、一方、神社に合格祈願に来ているのと同じ感じでお参りしているように見える人もいる。

各地の風土や文化と融合して、日本人では理解しがたい形も含め、様々な仏教が世界に広がっていっているだろうが、一つ言えるのは、この地で一人の人間が 2600年も前に悟ったと言われる"何か"が、今も多くの人を動かしているということ。どんなすごい体験だろうと、一人の人間の心に宿ったものに過ぎないものが、である。

それは、改めてものすごいことだと思った。
ブッダとその周囲にいた人は、伝え、感化するということにおいて、それこそ神的な能力を持っていたのだろうと思う。

私も周囲を時計回りに何度か回った後、かの地のすぐ近くで座ってみた。最初はこの地のパワーなのか調子よく日常的なことを忘れられていた。が、少しすると裸足の足を中心に蚊に刺されまくり、その痒さとまだ満腹でない蚊に心乱されまくるようになってきた。ブッダが消した最後の煩悩は、自分に止まった蚊をどうにかしたい欲と痒いところを掻きたい欲だったのでは、と真剣に考えたほどである。

しかし、本気で気になる。気にならないようになるのか、それとも生命の気を消して蚊がよらない術でも身に着けていたのか。

・ ブッダ・ガヤー の悪夢の夜 〜蚊に悩む
もうやってられん、と立ち去り、夜ご飯を食べたレストランの窓を見てぎょっとした。外側に蚊がすごい密度で止まっていたのだ。もう上着が欲しい冬なのに。

嫌な予感と共に、宿に戻ってまたびっくり。人生でこれだけの蚊密度の高い部屋に入ったことはあるまい。白い壁にはスーパーマリオのボーナスステージかというような蚊、蚊、蚊。モグラ叩き状態で部屋に帰った最初の一分で 10回ほど不殺生戒を破ってしまった。
その後、洗面所を含めて 30匹ほど駆除するも、壁に穴が空いていて、今頑張っても安眠は無理と悟る。宿でもらった蚊取り線香でこちらは苦しくなってきたのに蚊は元気に飛び回っているので、線香も消して寝る。強力なはずの虫除けも聴いていない。

蚊の量以外でもこの宿での夜は最悪であった。
夜中に不穏な音がすると思ったらネズミが荷物の上を走っている。ツインのベッドについていた二つの毛布を重ねても寒い。シーツは汚くベッドは堅く、毛布は誇りくさい。もう少しちゃんと部屋を見て判断すればよかった・・・しかも、外では明け方までおかしいくらいに大音量の宗教的音楽(おそらく仏教系ではない)が流れているわ、蚊との闘いも何ラウンドにも及ぶわで、一向に眠れない。

最悪のこの夜に風邪も引いた。朝になったら鼻水が止まらない。
次の日の夜の寝台に備えてヤクの柔らかい毛で作られたストールを購入。200Rp。結構気に入っていたが、コルカタの睡眠薬事件後、いつの間にかなくなっていた。

・ ブッダ・ガヤー 座禅の朝 〜蚊に悩むagain ★★★
朝と夕は印度山日本寺(超宗派によるお寺)に座禅を組みにいった。
ここに向かう朝に強盗にあった人もいるようだった。まだ暗い中、人の目のなくならないように気をつけて歩いた。
参加者は朝夕とも5人程度。やはり日本人が多かった。街がせまいので、彼らとは皆、どこか違う場所でも出会った。

二人のお坊さんによる、20分ほどの勤行があった後、座禅が始まる。

やはりここでも、蚊はつきまとってくる。
途中からもう意識は蚊に集中してしまう。
これは厳しい。雨季なんてどうなってしまうのだろう。

この地域は夏は 40度を軽く超える暑さときく。厳しい自然環境だからこそ開かれた悟りであることは間違いないと思っているが、中途半端な厳しさは、旅人にとってはそれだけで終わってしまうものであった。
この地を理解するには、やはり厳暑期に来たほうがいいのかもしれない。

お寺には無料の診察所が併設されており、早朝から人が集まり、並んでいた。無料の学校もあり、インドでの奉仕活動ぶりに頭が下がる想いであった。

・ セーナー村(スジャータ村) Sena Village 寄付で潤う村 ★★
ブッダ・ガヤーではそれほどやることもないので、苦行をやめて山を降りたブッダにスジャータが粥を与えた、というシーンの舞台であるセーナー村に歩いて向かう。

橋を渡った村の入り口には学校があり、壁には「青空学校」と感じで書いてある。日本人が設立に寄与しているようだが、なんとも「寄付をくれ」展開になりそうな予感がする。予想通り、「中を見ていけよ」という展開に。
ネパールで同様のことがあってあまり気分がよくなかったので
http://www5.pf-x.net/~tosh/travel/nepal/top.html#4
スルーしようかと思ったが、時間がたくさんあったので、ちょっとだけ見てみることにした。

で、入るといきなり十数人の生徒が一斉に立ち上がって挨拶してくる。タイミングよすぎ、というかこういうことに慣れまくっているのだろう。
見るだけだと思っていたのに、「さあ、何か教えてあげてください。」と立たされる。といきなり言われても困ったものだ・・・。とりあえずお決まりの日本語を15分くらい教えてみる。 先生が私の英語を通訳してくれる。

その後、2階でもう少し年上の人たちの授業にお邪魔する。
インド周辺の山について学習中ということで、ちょっと質問をしてみる。世界一高い山は?「カンチェンジュンガ」「いや、それはインド一高い山だよ」「エベレスト」「正解、ではそれはどこに?」「インド」。「No!」さっき教えたばかりだろ、と先生は苦笑い。とかいうやりとりの後、彼らには今後あまり関係ないだろう高山病についての話などをしてみた。

その後、校長?と雑談タイム。
いかに貧しいかを語って寄付を要求するのかと思いきや、それではインドではアピールにならないことを知っているのか、そういう話はしばらく出なかった。
まず「インドはどうか?」というので、観光客に絡んでくるインド人にはうんざりしていることについて話した。たとえば、ブッダ・ガヤーの街にたくさんいる日本語で「バイクで色々連れて行ってあげるよ。お金は要らない」という人の話を出して「知らない人のバイクに乗れるわけないし、まず彼は身元を明らかにすべきだ。彼も生きるのにお金が必要で、平日の昼から旅行者の遊びに付き合ってられるわけない。必ず最後はお金を取らなければならない。だったら最初から親切面しないで、xxRp+気に入った分のチップでガイドをさせてほしいとか、正直に自分の要求を話すべきだ」など。まあ彼に言ってもしょうがないを愚痴いっぱいこぼしてみた。彼はそれに真面目に対応してくれて好感度があがった。

そして、彼の説明。ここは孤児のための私設学校とのこと。「将来、観光客にたかるのではなく自分の力でお金を生み出してくれる子供たちを育てたい」というような、インド人疲れしている旅行者を喜ばせるような言葉を選ぶ。
で、学校の運営はボランティアでやっているけれど・・・と遠まわしに寄付歓迎の話が出る。

はっきりいって、インドの田舎の中では、この学校はかなり恵まれている。皆ちゃんとした文具を持っていたし、遊び道具も豊富に用意されていて、デジカメさえある。旅行者が毎日たくさん通るこの場所で、旅行者がそれまでに接してきたであろうインド人の中では特段にうさんくさくない感じで話ができる校長がいて、さぞかし寄付も集まっていることだろう。

寄付がどんな風に使われるか知れたものじゃないし、この学校で育った人は将来、真面目に働くよりもここを通る旅行者にいい話を聞かせて寄付をもらうのが一番おいしい仕事であることを知らずには卒業できないことを考えると、どうなんだろう・・・と悩んだが、「期待している」という意思表明だけは残しておきたいと、1000Rpもの(今までの宿代の合計に近い。日本でのx時間の労働分、ではなくて、安宿で眠れぬ夜を何度もすごして浮いた分、と考えることに) 寄付をする気になった。

卒業生という人がストゥーパを案内したいというので、してもらった。

・ セーナー村2 ~人を信用するために必要なもの
ストゥーパを見ていると、インド人の若い男達がバイクで通り過ぎたあと、戻ってきた。日英韓仏印5各語堪能の彼は「今日は仕事がないからよかったらバイクで案内してあげようか?」とまた調子のいいことを言っている。「知らない人のバイクには乗れないよ」と言ったものの、ブッダが苦行をしていたという山には行ってみたいし、その足がないのも確かである。「ボランティアじゃないよ、バイクが乗るのが好きなんだよ。燃料代は出してもらう」という話も若干真実度をあげている。とはいえ、現地人の乗り物に乗るならば更なる保証が必要である。

「じゃあ、失礼だけど君が信用できる人かどうか確認させてもらってもいい?」と言うと「いい」というので、さっきの学校まで戻る。 そして、先ほど話し込んだ校長に「ねえ、この人バイクで案内してくれるって言っているけれど信用してもいいの?」と聴いてみる。「彼は信用していいよ。燃料代払えば後は要求しないと言っているし」「それはいくらくらい?」「往復2〜3リットルのガスがいる。1リッターxxRpだよ」と、まあ妥当と思える数字が出た。「これで後でここに君が戻ってこなかったら、私が殺人犯って分かるでしょ」とライダーは笑った。笑い事じゃないが、村をあげての犯罪が起こるならもうお手上げだと、ここで彼を信用することにした。

そして、バイクに乗って苦行した山(乾いた岩山であるが、周囲も含めてなかなか壮観)大きな大きなガジュマルの樹などを案内してもらった。途中でガソリン屋によってガソリンを買う(ペットボトル入り)。彼は結構よい身なりをしていた。
22歳にして5各語が堪能なのは、独学でトイレに行くのも惜しんで勉強し大学に行ったからだ、とか、今はドキュメンタリ番組を作る仕事をしているとか、とある金持ち欧米人がミリオン$(1億円!)の寄付をしてくれて、それはすぐにルピーに換金できないけれど、この山のふもと辺りに畑を買って、人々に仕事を提供する計画を立てているとか、本当かどうかわからない話を色々としてくれた。半信半疑で聴きながしながら、バイクで田舎の道を行くのを気持ちよいと感じていた。

特にトラブルもなく村に戻ると、先ほどとは違う学校に連れて行かれた。
「前にここで働いていたんだ。寄付してよ」と単刀直入に言われた。そういうことだったのね。
他の先生らしき仲間も来る。私が「さっき寄付、もうあれ以上は無理」というと「ここはあそことは独立した学校だからまた別」とか「お金じゃなくて物でもいい。これから寒くなると、床に引くものが必要だから、それを例えば買ってくれないか」とか言ってくる。物を買っても、お店とはどうせ知り合いなんだからお金をあげるのと同じでしょ、と思う。この村はどこまで寄付を当てにしているんだ・・・。
彼らはでもしつこくはなかった。いくらでも観光客なんて通るのだろう。

ライダーは「最後にスジャータ村のお茶を飲んでから帰りなよ」と橋の横のお茶屋へ。人通りの多い場所なので問題ないとは思ったが、へんな混ぜ物されていないか注意しなければいけないのが、インドで心休まらないところである。
結局何ごともなく、お茶をごちそうになり、ちょっと雑談して、橋の向こうまで乗せてもらって、約束の燃料代を渡す。終わってみれば走った距離にしてはこれがやや多かったと思うが、「足りればいいけど」とと言ってみると「商売でやっているわけじゃないからね。足りない分は自分が払うよ」 と。
インド人って何を真意で言っているのか全然分からない。ただ、強盗沙汰にならないだけで「まあ悪くなかった」と思えてしまうようになっているのが怖い。

この日の夜、コルカタに向うために宿を出る。

外では、盛んに日本語でしゃべりかけてきた怪しいインド人が一人の日本人を捕まえて飲みにいくことになっていた。日本人は「一緒にどうですか?」と誘ってきたが、「もう行くので」と断る。こいつと飲みに行くなんて重々気をつけろよ、と思ったが、まさか自分がひどい目に巻き込まれるとはそのときは思わなかった。人は一度何かポリシーをまげてしまうと、どんどんたがが外れていくものだ、ということを実感した。

ここから睡眠薬強盗事件が始まった。

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