2012年1月8日日曜日

コスタリカ:旅行に関する情報

2011/9/23-10/5 コスタリカ旅行記

既に記憶が薄くなってきたが、コスタリカ旅行に関する日本語の情報が多くない中色々調べたので、記憶から消える前に記録および旅行者の情報提供のために旅行についての概要を書くことにした。

今回の旅の主目的は以下
- ナマケモノ
- 海ガメの産卵
- ケツァール(手塚治虫の火の鳥のモデルで世界一美しいとも言われる鳥)観察
- 活火山見学
- ダイビング
- コーヒー農園見学
- その他、昆虫や哺乳動物、野鳥の観察など。

現地滞在が13日間あったので、運悪く見れないものもあったが、目的地はすべて回ることができた。

コスタリカはエコツーリズムに力を入れているだけあって、設備は整っているし英語の通用度も高く、快適に旅ができる。道路はそれほど整備されていないが、国自体が小さいので、移動はそんなに大変ではない。
日本からは遠いし物価もそれほどは安くないので、自然探検ということであれば東南アジアをエントリポイントとしたほうがいいようにも思う。
しかし、当然ながら生息する生物が違う。特に鳥や昆虫、爬虫類好きにはたまらないだろう。自然好きなら行く価値が十分にある場所である。








全旅程
9/23(Fri) メキシコシティ-> サンホセ 21:10-23:10 サンホセ泊
9/24(Sat) トルトゥゲーロ(海ガメ産卵)
9/25(Sun) トルトゥゲーロ
9/26(Mon) トルトゥゲーロ -> ナマケモノ保護施設
9/27(Tue) コーヒーツアー(Britt)→ San Gerardo de Dota(ケツァール捜し)
9/28(Wed) San Gerardo de Dota -> サンホセ 徘徊
9/29(Thu) -> Arenal (火山)トレッキング+温泉(入れず)
9/30(Fri) Arenal トレッキング -> サンホセ 夜コンサート
10/1(Sat) サンホセ → Palmar Norte→ Sierpe→ コルコバード
10/2(Sun) コルコバード(ダイビングできず)
10/3(Mon) コルコバード
10/4(Tue) コルコバード -> サンホセ
10/5(Wed) 7:00am -> 11:00 SanJose -> Mexico city
10/6(Thu) 6:07am -> 8:00am MEX ->LAX
10/7(Fri) 12:55pm -> 16:35pm(10/8) LAX -> NRT


日本から一週間の休暇だと現地で使えるのは6日くらいなので、目的を絞り込むことが必要だと思う。
目的がはっきりしているならツアーを利用して時間を節約することが大切かもしれない。


<ツアーについて>
http://www.desafiocostarica.com/
http://www.doncarloshotel.com/costarica_hotel_tours.htm
http://www.monteverdetours.com/
http://www.sakuracostarica.com/monteverde/
などなど色々とある。
時間を大切にするなら、全旅程をアレンジしてくれるところ、予算を重視するなら個々アレンジもしくは現地アレンジ。
観光大国なので、現地アレンジは容易であるが、雨季は人数が集まらず催行されないツアーがあったりもするので要注意。

2009年2月13日金曜日

中国: 桂林 2日目&所感

二日目 川下り
うかつにも、二日目のツアーの段取りは何も聞いていなかった。
もしかしてだまされた?などと心配になるが、宿の人を通して、契約した人と連絡することができた。「10時にロビーで待ち合わせ」となった。しばらく街を散歩して10時に戻るが、彼は「ごめん、10時は一杯。14時にして」と困ったことを言う。私は帰りのバスが20時発であることを伝えていたので、彼が昨日言っていた「4時間半の川下り」をしたら間に合わない。それを言うと「いや、川下りは2時間。出発地点の興坪まではバスで 30分だから4時間で戻ってこれるよ」ということであった。

話が随分と変わってしまったが、事実はまた違って、川下りは1時間。出発地点までのバス移動が1時間以上、だった。
(結果的に言えば、川から見える景色はそんなに変わらないので、寒い冬には1時間程度が妥当かもしれなかった)

さて、私のツアーは、かなり簡素化されたツアーで、バス停まで連れて行ってもらい、ローカルバスに一人で乗っていく、というものであった。こんなのなら自分でやったのになあ・・・。舟もたくさんあって、予約してなくてもて同席を嫌がらない人のところにすべりこませてもらえそうだった。

着いた興坪の街のバスターミナルのすぐ横に、古い街並みを保存している箇所があって、なかなか味があった(ツーリストもたくさん)。そこを通り抜けて川の方に向うことができる。そこから先、船着場までは川沿いの細い道に車が殺到しているため、ひどい渋滞になっていた。歩いたほうが早かった(徒歩で20分弱)。

舟は4~6人乗りのモーター付きの筏。自分は遠慮して一番後ろに座ったが、屋根が前方視界の邪魔なので、前のほうに座るべきだった。あと、舟からくる波で水がはねて下半身はずぶぬれになる覚悟が必要。

川の中や周りには水牛やアヒルがいたりした。例の山々に囲まれた景色はさすがになかなかであった。夕方近くなっていたので、山々の間から差し込む光が斜めに切れ込んでおり、美しい光と影のコントラストを見せていた。

さて、ツアーが終わったのでまたローカルバスで陽朔まで戻る(5.5元)。朝に登った公園にある丘にもう一度登り、暗くなり行く街を眺め、別れを告げる。ご飯はここの名物のビアフィッシュを食べた。これは、漓江川に特有の魚の種類だと思ってたが、どうも調理方法らしかった。そのまんま、味付けにビールを使うのがポイントらしい。それほどビールを感じさせる味ではなかったが、川魚の生臭さがうまく消されていてとてもおいしかった。旧正月なのでと餃子も食べて、おなか一杯になって帰路。
長かった帰路
バスは2時間近く待たされたあげく(待つのはインドで慣れた)、「満員だから乗り継ぎで違うバスに乗れ」と言われ、違う街に一度バスで移動してから寝台バスに乗り換えた。待っていた寝台バスがアイドリングをしなかったのはよかったが、バッテリーがあがっていてしばらく出発せず。結果、行きより 1.5倍近く時間がかかり、深圳に着いたのは朝の10時過ぎになってしまった。バスは行きよりベッドが長く、ぎりぎり足を伸ばすことができ、往路よりよく眠ることができた。これなら100元の差額も納得できる。
深圳に入ると全員が降ろされた。なんだかターミナルっぽくないのにおかしいなあと、英語の分からない頑張ってドライバーとコミュニケーションして分かった。中国人は入京審査をここで受けないといけないのだ。外国人の私は免除なので、パス。竹子林 という地下鉄駅の上が終着点だったので、地下鉄で香港との国境へ。地下鉄はほとんど香港と同じスタイルで、新しいのでやたら綺麗であった。なんだか無機質な印象。
以上、桂林紀行は終了。
桂林の感想と自分の旅への態度
中国を代表する景勝地。なかなかの景色であるが、テレビで、写真で、(20元札で?)見慣れすぎていたためか、感動は薄かった。香港や広州から週末で行くことができるので、何かのついでに行くのはよいが、わざわざ日本からここを目指すだけのものはないと感じた。
陽朔の街は、英語通用度が高いし、物価もそこそこ安いし大気汚染もあまりない。バックパッカーの憩いの場となるのは納得(ハッパは公に流通していなさそうだったけれど)。

さて、最近の私の旅の傾向であるが、うまく旅をすることばかりに気が行き過ぎて、あまり楽しめていない気がした。
"短い時間で","安く","快適に","ここでしかできないことを","できるだけたくさん" といった条件を満たすことにちょっと気がとられすぎていて、肝心の旅を味わいきれていない。
ヘタに旅慣れてきたため、はじめて見るものへの感動が薄くなってきているのと、うまく旅ができた時の記憶が頭にこびりついているからだと思われる。
この傾向は旅行記の文章にも十分に現れているだろう。
この一年は旅行ばかりしていたし、海外に生活していること自体が旅みたいなものであった。しばらくは日常を固めろといういうお告げだと理解することにした。

データ: 香港から深圳
・ 深圳から飛行機で片道 660元ほど(安い時期には深圳の国境出口にある旅行代理店で800元程度で往復券が売られていた)
・ 香港から飛行機で往復 2000HKDほど
・ 深圳駅より220-250元ほど。バス発着所は羅湖の国境から線路を挟んだ反対側。国境を出て左に進むと歩道橋へ続くエスカレーターがある。徒歩2分。一日19:30と20:30の2便。9~11時間・ 深圳福田バスターミナル等からもバスあり
・ 深圳駅から電車もありバスのメリットは、空港や桂林の街を飛ばして 羅湖←→陽朔まで直行でいけること。

2009年2月12日木曜日

中国: 桂林 1日目

桂林に行くのか?

香港での一年間の生活も終わり、日本に帰国。最後に、香港から行きやすい景勝地である桂林への旅行を検討してみた。

桂林は、大学時代、夏休みの終わりに友人が、あの瓢箪のような山々をバックに自転車でサイクリングする写真を見せてくれたことで知った。それまで身近に中国との接点がなかった私にとって、その図が中国のイメージの元型になっていた。。桂林という場所を私は、独りで喜んで行くほど魅力のある場所だと感じていたわけではなかった。しかし、その元型のイメージを体験しておきたいという想いがひそかにくすぶっていた。そして、香港にいる今を逃すと永遠に行かない気がしたので、検討開始。

しかし、調べてみると旧正月休みのこの時期は・・・


・ 寒い
・ 乾期の渇水のため川下りできる範囲が狭まる&霧や雲が出にくいため水墨画的景色は見にくい
・ 特別料金体制だし内地からの観光客が多い

と、タイミングとしては最悪だった。

行こうかどうか悩んだが、"飛び込みで夜行のバスチケットが取れたら行ってみる"というサイを投げることで決めることにし、とりあえず簡単な準備をして国境を越えた。


深圳から桂林
ネットで調べたところでは、国境の深圳駅付近のバス停の一つから250元くらいで夜行バスがあるという。場所がいまいち分からなかったのもあり、国境付近の旅行会社にまず行ってみると、350元とふっかけてくる。「春節だから」というが、信じられないので横着せずにバス発着所を探していく。バスのチケット売り場の手前に客引きがいて、700元とひどくふっかけてくる。飛行機で660元なのにばかなである。中国には法外にふっかける人は少ないという印象があったが、やはり流れ者の多い深圳は違う。

バスターミナルでは季節変動価格で260元なり。どのくらい滞在したいか分からなかったので、帰りのチケットは買わないでおいた。深圳駅周辺は特に旅客が多そうでも無かったので、旧正月期間でもなんとかなるだろう(結果的にはこれは甘い読みだった)。

降りる先は桂林ではなく、その少し(バスで1.5時間ほど)南にある、桂林川下りの到着地点である陽朔。ここは中国のバックパッカーの聖地の一つで、雲南旅行中に出会った中国横断中の旅行者に薦められていた場所。桂林の街中とは違い、桂林的景色に囲まれた街。過去に西洋人が多く住んでいたらしい場所でもあり、中国では珍しく英語の通用度が高い。

英語といえば、深圳からのバスガイドさんも英語をしゃべってちょっとびっくりした。

バスは土足禁止。寝台は雲南で乗ったものより横幅は広いが、長さは 180cmの私には足りず、足を折る必要があって、ぐっすりとはいかない。シーツは綺麗だった。そして、禁煙だったのがとても嬉しい。途中、福田バスターミナルに寄って行く。バスは高速を快調に飛ばし(この辺はインドと違うところだ)。しかし、快調すぎて朝7時着と言われていたのに、四時半に到着してしまった。周囲は真っ暗である。困った。去年、大理で朝3時半に着いて惨めな想いをしたことを思いをした。

この時間に空いている宿はあまりないし、ガイドブックも持たずにきたのでどこが安宿街なのかも分からない。しかし、今回は幸運にも客引きが一人いたし、他に二人のバックパッカーがいた。寒い中さまようのも嫌だったので、前者について行くことにした。宿はテレビに洗面セットとシャワーつきで交渉後100元。盛んに二泊しろと行ってきたのは相場より高いからだろう(一度街に出られると相場がばれる)。もっと安い宿があることは知っていたが、夜中に待っていた労力に大いに助けられたし、この後宿を探しに外に行くのは嫌だったので、一泊だけ、ということで早々に決める。

ちょっと寝たら朝の街を散歩してみようと思うも、目覚まし動かず。昨日の客引きがローカルビールとローカル麺を持ってきてくれた。彼は「朝にビールを飲むのがこの土地の習慣だ」といって薦めてくる。ほんまかいな。とにかく私は朝から飲む気がしないので、「インドでビールに睡眠薬を入れられてから、人から飲み物はもらわないことにした」と伝える。「気になるなら新品を持ってくるよ」とそれでも勧めてくるが断る(まあ、薬を警戒するならもらったご飯を食べるなという話なのだが)。

この朝食サービスは、ここで恩を売ってツアーを契約するための投資のようだった。ツアーの相場がおぼろげにしか分からないし、比較したいので自分で探すと正直なところを伝える。しかし、「今は旧正月だから見つかりにくい」「熊本から来ている美人二人と一緒にまわれるよ」などととてもしつこく勧誘してくる(そういえばビール勧誘の時も、熊本ガールも今ビールを飲んでいるとか言っていた。結局その二人の姿を見掛けもしなかった。彼の日本人勧誘時の常套勧誘手段なのかもしれない。)。しかし、値段もまあそんなもんだろうというところ(英語ガイド&ランチ付き1日サイクリングツアー+川くだり1日で350元)に落ちてきたし、自分で探しに行って当日乗れるツアーが見つからないリスクを考慮してお願いした(旧正月パワーがどんなものか分からなかったので)。

朝、ガイドさんがくるまでの間、街を少し散歩した。宿を出ると、"あの"桂林的な山が街の中や周囲ににょきにょきと生えていて、最初に見た時にはやはり少し感激した。

1日目 サイクリング ~

1日目は、天気が非常によかったので、ハイライトの川くだりではなくサイクリングからスタート。さっそく来てくれた、英語がそれほどうまくなく言葉少ないガイドさんと田舎をまわる。ガイドはたいした説明はしてくれなかったが、地図も持っていない身としては、ガイドがいてよかったと思う。治安のいまいちな場所もあるらしいし、独りで迷っている旅人もいた。

田舎は、中国の普通の田舎の風景である。野生や家畜の鳥がそこらへんにいて、ちょっと鳥インフルエンザの心配もしつつであった(桂林周辺は人間への感染はないが、省としては死亡例がある)。おかしな形の山々と川とを見てまわる。このコースでは途中、筏で川下りをするのが定番らしい。これはびっくりの150元。特別な景色が見られるわけでもないので、やめて、サイクリングで自分のペースでまわる。でも、道中、川原にいた地元のお爺さんに筏を貸してもらってこいで遊んで、気分だけ味わった。

途中で「昼食は込みなの?」と聴かれたので「そうだよ」と答えたら、ローカルの中でも一番安いだろう場所に連れて行かれた。市場で野菜や肉に囲まれながら、おかず3品&ごはんを食べたのだった。大変露骨な経費節約であったが、おいしいのはおいしかった。

その後、ちょっとした山(月亮山)に登ったり、洞窟(ウォーターケーブ)に入ったり。ガイドさんは入り口で待っていた。この辺りは特にコースが決まっているわけではなく、何をしたいか聞かれながらやっていく感じ。洞窟の入場料は168元もする。去年、世界一長い地底川の洞窟に行ったし、雲南で有名な洞窟にも行ったので興味なかったが、ガイドの妹がチケット売り場で働いており、ローカルプライス(80元)でいいから・・・と言ってくるので、時間潰しに行ってみた。

実際、郊外巡りはいろいろ見所に入っていかないと、山を眺めるだけでは1日使いきるのは難しい。私は中国の寺などは相当に飽きていたし、中国で乗る気球は怖いし。洞窟でも・・・と消極的選択。

この洞窟へは、舟で入って中で歩く。定番の鍾乳洞たちを見る。まずまずといったところ。予想通り、驚く場面はなかった。思っていたよりは規模が大きかったが、雲南の九郷風景名勝区とは比べるまでもない。一人の若い中国人が、現地ガイドの言うことを気が向くと英語に翻訳してくれて助かった。

夕方にはサイクリングが終わり、街に帰って、中国では珍しいバックパッカーのたまり場的な場所に行ってみた。それは、予想よりも大きい規模だった。もっと旅人に有名なコルカタのサダルストリートなんかより大きくちょっとしたオドロキ。西洋のレストランがあり、バーがあり、英語のメニューや看板があり。ずらりと並ぶみやげ物(偽ブランドや おかしな T シャツやら)屋を冷やかすだけでも時間をかなり潰すことができる。

予定通り明日の夜行バスで帰ろうと、バス停に行くと「明日は満席」。さすが旧正月である。旅行代理店をいくつかまわり、ようやく明日の夜行バスを見つけることができた。価格は特別料金の350元。まあしょうがない。

スケールの大きな野外ショー
さて、この街で有名なショーがあって、夜にはそれを見に行こうとしていた。張芸謀(チャン・イーモウ)プロデュースの 印象劉三姐 というものだ。夜に、山々をバックに街の外れの川の上で繰り広げられるショーである。出演は総勢600人にも及ぶという、日本では見ることができないようなものである。


チケットは一番安いもので188元もするし、まあいつでもチケットは買える、と思っていたがそこは旧正月パワー。その日の第一公演は売り切れ。第二公演に滑り込む。ショーの開催地まではチケットを買った旅行代理店のバスで行く(ちなみに帰りは置いていかれた・・・)。

会場の規模がものすごい。人々が待つスペースがあり、そこに開演1時間近く前に集合。そこから席まで大移動(どちらも屋外)。開場から開演までが短すぎ、客が入場中に真っ暗になって大パニックになっていた。ステージの前には川。その奥に山々がライトアップされる。

このショーはよかった。北京オリンピックの開会式のプロデューサーが、その路線で自然
の背景を利用して、様々な工夫をこらしている。水牛や鵜なども登場して、統制の取れた演劇が行われる。その中国ならではと思わせる規模のショーは、今回の桂林旅行で一番感銘を受けた。

すっかり遅くなった夜ご飯はローカル食堂で鍋ご飯。たくさんの食材から4品選んでご飯と炊き込むものである。おいしかった。あと、たこ焼きがあったのでトライしてみたが、タコは入っていないのは当然として、練乳と甘い粉がまぶしてあって、ほとんどお菓子であった。たこ焼きと思わなければ、意外とまずくはなかった。

2008年12月13日土曜日

インド: リクシャードライバーたち

リクシャーはインドを旅する人の大切な足。リクシャーにはオートリクシャーとリクシャーワーラーとがある。どちらも三輪で前者はバイク駆動、後者は人力自転車駆動である。

旅行者料金をふっかけてきたり、頼んでもいない旅行代理店や宿に連れて行くのでこれらとのやりとりは大変である。デリーのリクシャーにはメーターがついており、メーターで走れば、遠回りしないよう監視すれば現地の値段で乗れるのでやりやすい。

私の心の中に完成したリクシャー利用のコツは
・ あらかじめ相場を知っておく(宿の人、通行人などに聴いておく)
・「前回は xxRpでここまで来たからそれで」で交渉が早くなることあり
・ 観光客専門でない流しを捕まえる。現地人を降ろした後に乗り込むとかがベター
・ 最初の交渉で面倒になりそうな人はさっさと捨てて違う人を探す
・ 行き先に何のために行くのか聴かれても答えない(答えるとウソ情報で惑わせたり余計な場所に連れて行かれる)
・ 行き先の方向を把握しておいて、おかしなところに向っていると感じたらすぐに釘を刺す


今回はそこそこ闘ったおかげで、行きたくない場所に連れて行かれるようなことは一度も起こらなかった。

以下、今回の旅でのいくつかのリクシャーとのやりとり実例を書いてみる。

オートリクシャー1 in デリー 「壊れたメーター」

T「○○までメーターで言って」
D「メーターは壊れている」(確かに電源が入っていない)
T「うそでしょそれ」
D「本当だ」
T「じゃ、○○までいくら?」
D「(相場の5倍くらいの値段)」
T「じゃいい」
D「いくらならいいんだ?」
T「20」
D「じゃ、やだ」

彼は違うインド人の客をすぐにとった。自分の確信を確かめるためにチェックしたが、そのリクシャーのメーターは動いていた。違うリクシャーで行くと、ちょうど20くらいだった。

オートリクシャー2 in デリー 「ぼれなければ怒るぞ」

現地の客を降ろした直後のリクシャーを捕まえる。
T「○○までメーターで言って」
D「○○は遠いからメーターじゃだめだ」
T (意味が分からないと思いつつ)「じゃ、いくら?」
D「50Rp」
T「40にしてよ」
D「50だ」
T「40だよ、いこいこ」

50というのは、現地の学生に聞いていた相場より高かったけれど許容範囲だったし、リクシャーの少な目の地域だったので50なのか40なのか曖昧なまま出発。しかし、彼は前の客のメーターをリセットしなかったので、到着時までにメーターは 30Rpしか増えていなかったことが判明していた。分かったからには 50Rpは払えない。「メーターで30しかかからなかったけれど、40あげるよ」と気前のいい提案をするも、相手は断固として50を主張。ちょっと怒り気味なのだが、もはや英語をしゃべらないので言い分が分からない。

結局 40で了承したが怒り収まらず、近くにいたリクシャーの運ちゃんに激しく愚痴っていた。自分が悪いことをした気にはまったくならないが、10Rpで逆転してしまう怒りと幸せがあるならば、なんの判断もくださずにあげてしまってもよかったか。向こうの理を理解できなかっただけに、自分の日本での価値観を持ち込んで正当化してはいけないのではないか、そんなことを考えてしまった。

オートリクシャー3 in ガヤ 「仲介料いただき」

バスでラージギルからガヤにつく。ブッダ・ガヤに向う乗り合いリクシャーが見つからない。乗り合いじゃないと 100Rp の相場っぽいが、治安の悪い場所では一人で乗り物には極力乗りたくない。乗り合いリクシャーはないのか?とたずね回っていると、一人の人が「ついて来い」と。まわりのリクシャー運転手から文句を言われているのに振り切って乗り場に連れて行ってくれた。「なんていい人なんだ」とちょっと感動。彼は運転手と何か相談した挙句「15Rp前払い」。なんで前払い?と思いつつ 15Rpだと思って 50Rp札を渡すとお釣りがない。どうやら50Rpと言ったらしかった。

乗り合いでそれは相当に高い。お金を受け取ると運転手と彼は私の視界から消えた。仲介料をふんだくっているようだった。やっぱり積極的な親切って得がたいものだなあ・・・と脱力しながら、疲れもあってそのときは文句も口に出てこなった。

リクシャーワーラー1 in アーグラー 「正直さん」

アーグラー城からバス停へ。アーグラーでは時間があまりなく、急いでいたのでオートリクシャーを探していたが、辺鄙なところを散歩していたので周囲にあまりいない。そうしたらリクシャーワーラーの運転手が寄ってきた。試しに値段を聴くともちろん高い。「今は、時間がないから人力はごめんなんだ」というと「俺は元気で速い!20Rpでいい」というかなり安い提案に。でも、その後に「ただし、道中の土産物屋に寄らせろ。買わなくていいから5分いればそこで収入を補うから」と付け加える。その正直さに心打たれなくもなかったが「急いでいる」と言った人には言っちゃだめだろ。どうせ「道中」というのも近くなかったりするのだろうよ。結局その2倍のお金でオートリクシャーに乗った。

リクシャーワーラー2 in ヴァラナシ 「俺はいい人」

ガンガー付近からサールナートに行こうと思うが、バスの走っている駅前にリクシャーを走らせるのだけでも大変だった。「なぜ駅に行くのだ?」と必ず聴かれる。「サールナート行きのバスを捕まえるため」とでも言おうものなら「バスはないから俺と行こう」とか「バスチケットが必要だからまず予約しに行こう」とか、嘘情報で出発しない。

うるさい人々を捨てて「ただ駅に行って。理由は教えない。」と一人のリクシャーワーラーを捕まえる。しかし、その人も「チケットなら予約センターに」とか独り言を言い始める。「チケットはいらないから駅に言って」と釘をさすも、明らかに道をそれたので「駅にダイレクトに行かなかったらお金は払わない」と言うと、メインストリートに戻り、駅に行ってくれた。約束のお金を渡すと「I am a good man」と手を出してくる。思わず「Yes, You are」と言ってしまったが、よく考えるとごく普通ではないか。インドで相対的に優等生なだけでいい気になるなよ!

その他 交通

・ インドのバスの席取り

インドでのバスの席取りはいかに椅子に速く荷物を置くかで決まるようである。並んで入った人よりも外から空いている(そもそもなかったりもする)窓より荷物を放って席においた方が優先されるのは、どうも納得がいかない。一度、シートに荷物が立てかけてあったのでそこを外して座ったところ、その荷物によって列3席全部が自分と連れのものなのだ、と睨まれて追い出されたが、むむむ体験である。

・ 時間の単位が違う

インドで、正確な時刻を知るのは大変である。写真のように、駅のような場所でも、ホーム毎に時間が違ってもへっちゃらな国なのだ。
電車は毎度のように時間単位で遅れていくので、分単位で正確な時計があったってあんまり意味が無い。

予告無く走り始めたりするがドアが閉まらないから走り出してからでも乗れるし。

インド 所感

・ 旅先としてのインド

(少なくとも私の周りにいた)一般人の多くは親切で、下心無く旅を助けてくれたし、英語はかなり通じるし、交通も発達していて利用しやすい。物価はアジアの中でも安い方なので、少々ぼったぐられても「それでも安い」と気にしなければ、発展途上国としては楽に旅のできる場所に分類できるかもしれない。ただ、用心しなければいけないことが多いのは確かである。お金のために人に対して何でもできる人、というのをあまりにたくさんインドで見ることになった。

2002年に行った、インドネシアのジャワ島も治安は悪く、実際にひどいめにあった。
ただ、ここであったのはぼったぐりやスリといった、比較的単純でわかりやすい罪だった。しかし、ここインドでは違う。人の心の隙間を無理やり作り出すような、いい人を装った手の込んだ悪さがあまりにも多い。

チャイを飲んだり何かを待っていたりするとよく、インド人に「どこからきた」のと聞かれる。「日本だよ」と言うと「日本、いい国だね」と帰ってくる。なにがいいのかは知らないが、実際、対日感情は悪くないと聴いている。そして、それに続いて「インドはどうだ」と聴かれる。旅の前半は「いい国だね」と普通に返していたが、(クスリを飲まされる前でも)後半では失礼を承知して「うんざりしている」と言い切れるほどになっていた。「旅行者を騙して金を巻き上げようとする人が多すぎるからだ」と一応フォローははいれていたが。しかし、そこで同意を示す人だって、向こうから話かけてくるような人はまったく信用できないのだ。これは悲しい。

旅行中に出会った人をどこまで信用できるか ということは大きな問題である。例えば現地の人と話がはずんだりして家に招かれたとき、あるいは一緒に出かけようと言われたとき。それを拒否することで旅の貴重な経験をミスすることになる。しかし、拒否しないことでとるリスクは、殺されることにまで及ぶ。特にインドでは多くの行方不明者が出ている。外国からの旅人に見える人も罠を持っている。

今回は最後に取ったリスクが当たってしまった。もう今後の旅で取れるはリスクが増えた。少なくともインドを次に旅するとしても、現地の人に期待できることは非常に少ない。はっきり言ってこれでは独り旅は心から楽しめないし、ツアーでもない限り、責任持って人に勧めることもできない。

インド政府は、観光地の入場料として外国人から、現地人の20倍の入場料を取るなら、それなりの使い方をして欲しい。

ヴァラナシで麻薬を売っている人や、火葬場で詐欺/恐喝をしている人だって、その気になれば警察は簡単に見つけ出すことができるはずなのだ。自分さえ良ければ他人なんてどうなっても知ったこっちゃない・旅行者の人を信じる心を傷つける人たちの存在や、一部の心ない人のために自国民すべてに不名誉な印象を持たれてしまったりすることを許し続けることが、インドの国のあり方として好きになることができなかった。

あと、インドの個人旅行には十分な時間が必要だと感じた。交通機関はひどい単位で遅れるし、途中で健康を損なってストップする確率も高い。移動を続けていると、移動や宿に関連したトラブルを避けることばかりに気を遣うことになって、なかなか落ち着いた気分になることができない。なので、十二分な時間を持っての旅が好ましい。
私の場合、帰国が3日遅れたので、仕事をしている時でなくてまだよかったと思う。
また、帰国後に感染症が発覚すれば、行動範囲すべてが消毒の対象になる。特に客周りをする仕事を持っている時は、インド旅行するのはあまりお勧めできない。

・ インド 生と死 を考えさせる国

インドを旅していると、生から死への移行というものをビジュアルとして何度も見せ付けられる。

街を歩いていると、道端で中国とは違うしなやかさでヤギが解体されているのを見たりする。足だけが生きたままの姿の何匹ものヤギが袋に詰められ、自転車に乗せられていく。
その近くでは牛が淡々と肉片にされている。その横で、生きたヤギが何か食べている。道の向かいには野良牛が歩いている。

中国でも豚が丸ごとぶら下がっていたりするが、それは市場で、食肉が処理されている という印象が強い。しかし、ここでは屠殺を予感させる生々しさを残して、道端で動物が処理されていたりする。道端で生きた動物と共に見ることで、その連続性を感じざるを得ない。

あるいは、道路で野犬が捕まえたネズミを食べている。
ある野犬は今にも死にそうな風体で横たわっている。
道端や駅には死んでいるか生きているか分からない人が寝ている。
布をかぶせられた人が担架で運ばれている。
ヴァラナシに行けば人間や動物の死体が河を流れている。火葬の現場で、人の形をしたものが炭になってゆく様を見る。

インドを歩き回ると、少なからずそういう現場を見ることになる。

私は今は香港で葬式場の隣に住んでいるし、過去にはお墓に囲まれた東京のお寺に3年近くも住んでいた。同じ屋根の下で葬式があるのでホトケ様を見ることは珍しくなかったし、それを前にお経をあげたこともある。でも、そういうところからは生から死への連続性は感じることはできない。だから、自分のものとして感じることもあまりなかった。

けれど、インドでは生と死が隣り合った姿で何度も目に飛び込んでくる。多くの旅人は、そこから何かを感じると思う。

例えば、死を遠い先のものと考えて人生設計を立て、日々の会社員生活していること、それは日本では普通の意識の持ち方であっても、生き物としてはなんと特別なあり方なんだろう、というようなことを悟るかもしれない。
インドに来ると人生観が変わる、という人達はこの悟りに至ったのかもしれない。

ある人は、インドに多いベジタリアンの中には、ノンベジの人と同席することすら拒否する理由が直感的に理解できるかもしれない。

私は意識が飛んだ経験もあいまって、生と死の境目に細い線も感じることになった。さっきまで生物だったものが、物質に還っていく。それは、ヒンドゥーの神に捧げられる生贄の話であり、自分自身の話でもあるということを知る。

こういうことを感じることができるのは、インドならではだと思う。
インドは旅先として、特別な場所と言われているが、実際に特別な場所であった。

・ インドに美人は少ない

インド人は彫りが深く、美人が多いイメージを持っている人もいると思うし、自分も持っていた。
しかし、実際に行ってみると、そんなことはまったくなかった。
都市部でも垢抜けている人を見ることはとても珍しかった。化粧品を売っているようなお店もみかけないず、自分の外見には興味のある人は多くないようだった。外国にて、その地やテレビで見るインド人が取り分け美しい/美しく保とうとしている人である確率が高いようである。

・ インド旅行 再咀嚼の必要性

インドに行ったら公開するしないは別として、帰国後には旅行記を書くのは人生の糧になると感じた。

インドにいる時には、あまりの日本の街との違いにただ圧倒されてしまって「すごかった」というような具体性のない言葉に集約させられて、それで終わってしまいそうになってしまいそうだからだ。いかんせん、帰国後の日常との共通点がなさすぎる。だから、出会ったものを文章化する作業を通して、改めて咀嚼、吸収する時間が、その体験を自分のものとするのに有用だと思った。

インド旅行はネタになることが多すぎて、書き始めるときりがないのが難点であるが。

・ 健康について
胃腸に弱い私が、インドにて2週間通じて下痢はまったくしなかった。それほど料理が辛くないのと、消毒用アルコールで食事前に手をきれいにするように心がけたからかもしれない。
原因不明の長引く咳も収まった。また、お茶文化に慣れてコーヒーがないと一日が始まらない感じもなくなった。一旦風邪は引いたが、それも睡眠薬で身体を休めまくったため直った。
早寝早起きして野菜をたくさん食べ、動き回る生活をしたためか。

インド: コルカタ 目の醒めた後

警察に行った日、ツインで泊まっていた睡眠薬を分け合った彼の宿に移って、一緒に夜ご飯を食べにいった。はず。

なんだかこのあたりの記憶ははっきりせず、前後関係とかがしっかりしていない。睡眠薬を飲んで以降、色々と活動しているのに記憶がなかったりする。(睡眠薬というよりは麻薬的な何かが入っていたのかもしれないし、アルコールとの相乗効果が悪さをしたのかもしれない。一緒に飲んだ彼も「起きた後床が回っていた」というようなことを書いていた)。

例えば、薬を飲まされた翌日(=家に昼にはついている予定だった日)の夜に、姉(多分家族全員に送るつもりでミスったんだと思う)と妻に、睡眠薬詐欺にあって金とられた&フライト逃したので取り直す というようなメールを送っていた。ネットカフェに行ってお金を払って・・・とか、それなりに意識がないとできないことをやっているはずなのだが、そのメールを書いたりした記憶は無い。いや、無いとはいいきれないが、あるとはいえない、なんだか変な感じなのだ。見ていたけれど朝起きたら忘れてしまった夢のような。

メールは、めちゃくちゃな日本語で書いてあり、その時の意識の異常っぷりが分かる。姉は文字化けのせいだと思ったようだ。
(一例)
>ごめん今日k等たかえれにあ
>ちおおども金無無すまれた+¥+
こんなおかしなメールを送れば余計心配させる要素だし、「明日の便を買う」と書いたのに、そんなことは忘れて翌日行動していて、色々と心配をかけてしまったようである。

事件から3日後にようやく意識がまともといえる状態になった。マザー・テレサが活動していたハウスまで歩いていって見学し、その後、シンガポール航空のオフィスに行ったが、看板を残したまま移転していた。近場の旅行代理店で新しい場所を教えてもらい、バスでちょっと離れにある新興ビジネス街っぽいところのビルまで行って、今晩の便で航空券を取りなおす。ポリスレポートとか見せたら安くしてくれるかなあ、と思って見せたりしたけれど、無視された。しかし、最悪、買いなおしと思っていたら 3000Rpくらいの違約金(Fixのチケットだったので)日付変更してくれた。無断乗り過ごしの事後ですら6000円で日付変更できるなら、Open チケットの値段の高さっていったい?! と思う一幕であった。

シンガポールから香港へは空席がなかったが、スムーズに乗り継げる席があるのは2日後、と言われたので、それはもういやだと、とりあえずシンガポールまで行くことにした。香港便は1日に幾つもあるのでなんとかなるだろうと(結果、1つ見送って、3時間待ちくらいで乗り継げた)。

せっかくなので、コルカタもちょっと散歩してみることにして、セント・ポール寺院、ヴィトリア記念堂、モイダン公園を北へ縦断。どれもそこそこ。公園では誰も彼もがクリケットをしていた。

一眼レフカメラがないと身軽でやっぱり歩くのが大変楽だし、いちいち写真撮りたくならないので、なんだか行動も速い。昔はこういう旅をしていたなあ、ということを思い出した。

もう日も暮れてしまった。デリーより東にある分、夜が早い。宿の近くに戻ると「同居人が心配して探していたよ」と前の宿で一緒だった人に声をかけられた。朝、「散歩してくる」という置手紙と一泊分のお金だけを残して、まだ寝ている彼を後に宿を出たが、確かに散歩にしては長すぎだ。宿に戻ると、その日の彼の予定がドアに貼ってあり、ドアの鍵は閉ざされていた。一旦外に出て家族にあらためて連絡したり、お土産を買ったりした。道を歩いていると宿の近くの旅行代理店の人が声をかけてきた。ずーっと寝ていた私の顔を知っていて、「注意喚起をしたいから事件の詳細を聞かせてくれ」と言われて、色々と経緯説明をしたりした。何か彼の知っている情報をくれるかなと期待したがもらえず。

宿に戻ってもまだ彼は帰ってきていなかったので宿の主人としゃべったりして時間を潰す。そして合流して出発の準備&夜ご飯を食べる。もうフライトの時間が近かったが、彼が持っていたいいにおいのするサンダルウッドの木片が欲しくなって、マーケットに買いに走る。思ったより高い(50-200Rp)。「彼の持っているのは質が悪いから安かったんだ」とか、失礼なことをずばずばいう。

サンダルウッドと呼ばれるものは、ビャクダンのことだとは帰国してから分かった。本物かどうかは分からないし、判別は難しいらしいので、これは本物、と自分に言い聞かせている。

そんなことをしていると結構、いい時間になっていたので、宿の主人に(安くはないだろうが)信頼できるタクシーを教えてもらって、空港へ。事件後、変なところでぶっ倒れたりしていたからだろう、靴や服がとても汚くなっていた。飛行機に乗るとそれが気になってきた。
財布を落としても戻ってくることを期待できる国に帰ってきたのだ。
人を疑わずに安心して生活のできる幸せをこれほどに感じた旅行は今までなかった。

・ その他 コルカタのメモ

・ コルカタの喧騒はものすごいという噂を聞いていたが、そんなことはなかった。信号もデリーより多く機能しているし、ドライバーのマナーも中国平均よりいいだろう。道横断できないようなフェンスもあるし、物乞いや路上生活者も特段多いように見えない。かなりの努力の成果だろうが、旅行者の行くような行動範囲は少なくとも昔とは状況が変わっているようだった。

・ ところどころ道沿い水栓から水が放出されているところがあり、人がそこに集まり手で歯を磨いたり身体を洗ったりしている。その水は当然道路脇を流れてゆく。

・ お前の着ている服をくれというおじさんに遭遇。物乞いではない。だめもとだろう、「お前の持っている○○をくれ」と言ってくる人に何人か遭遇した。あいにく旅には必須品のみ持参しているので、あげられることは無い。特に今来ている服はあげると、今すぐ困るのでね。

・ このベンガル地方ではヒンドゥーの勢力も弱いのか、マーケットや街で牛を解体している姿を見る。しっぽや顔にはまだ生きたままの姿で生々しい。教会も多く、東インド会社が置かれていた趣が残っていると思った。

・ 同じく大都市であるデリーよりも人々が人懐っこくて温かみがある気がした。お金目当てでない人がよく話しかけてくるし、写真を撮ってくれと言われたりすることも多かった。デリーが東京ならコルカタは大阪のイメージ。

2008年12月12日金曜日

インド: ブッダ・ガヤー

・ ブッダ・ガヤー Buddha Gaya ★★★★
バスと乗り合いリクシャーを乗り継いで、仏教最大の聖地、ブッダ・ガヤーへ。行きと同じバスに乗ったはずが、乗客がすし詰めでなく、意味不明の停車もなかったので行きの半分の時間もかからない。順調に、2600年ほど前に、ブッダが悟りを開いたという場所にたどり着いた。

もう夕方。一泊なのでと近場に宿を適当にとって、さっそくかの地であるマハーボーディー寺院へ。

周辺の僧侶の密度はさすがにラージギルのそれとは比べ物にならない。仏教僧に囲まれていると、なんだか安心できる気がする。

マハーボーディー寺院の外で、ゴミ袋を持ってゴミ箱に向かう少年を見た。掃除をしているのかと思ったら違う。ゴミ箱から何かを回収していた。なんだったんだろう。

そういえば、インドでは屋外のゴミ箱という物を見た記憶がないな、と思った。

最終日、コルカタの宿であまりに汚くしかも穴の空いたなった靴下を捨てようと見渡すもゴミ箱がない。宿の主人に聞くと「外に捨てて来い」という。外に行ってみてもゴミを捨てるような場所は無い。近くの人に聴いてみると、「道に捨てろ」であった。それはまずいだろう、と思うが道は意外と汚れていない。
そういえばデリーのメインバザールでは、毎朝掃き掃除を皆でしていたな、と思い出す。皆、道にゴミを捨てるけれど、それを集める仕事があってなりたっているのかな、と思ってインド式にしたがってしまった。
無論それは都市部だけで、田舎ではどこに行っても打ち捨てられたゴミがいつも視界に入る。

・ マハーボーディー寺院 Mahabodhi Temple ~蚊の地 ★★★★
寺院は入場無料(カメラ持ち込み料20Rp)。
ところどころ Complete silence の掲示があったが、お経は silence の一部と認識されているようだった。大変厳かな雰囲気である。

無数の僧侶。周辺部には五体投地用のシートが置いてあり、多数のチベット僧が黙々と身を投げ出している。
その先には、ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹。樹齢が2600年は最低でもいっているはずで(ちょっと信じられなかった)、人工的な支えにも守られていた。

かの菩提樹の下にはたくさんの人が瞑想をしていたり、講和をしたり、お祈り?したり。様々な国の仏教徒が、様々な形でブッダに敬意を表していている。

それでいったい皆は仏教に何を感じ、何を求めているのか?
同様に、この場所に何を求めて来ているのか?
ということが、人々のあり方があまりに多種で想像がつかなかった。

熱心に座禅をしている人は、"その境地"に達するモチベーションをあげに来ているように見えるし、一方、神社に合格祈願に来ているのと同じ感じでお参りしているように見える人もいる。

各地の風土や文化と融合して、日本人では理解しがたい形も含め、様々な仏教が世界に広がっていっているだろうが、一つ言えるのは、この地で一人の人間が 2600年も前に悟ったと言われる"何か"が、今も多くの人を動かしているということ。どんなすごい体験だろうと、一人の人間の心に宿ったものに過ぎないものが、である。

それは、改めてものすごいことだと思った。
ブッダとその周囲にいた人は、伝え、感化するということにおいて、それこそ神的な能力を持っていたのだろうと思う。

私も周囲を時計回りに何度か回った後、かの地のすぐ近くで座ってみた。最初はこの地のパワーなのか調子よく日常的なことを忘れられていた。が、少しすると裸足の足を中心に蚊に刺されまくり、その痒さとまだ満腹でない蚊に心乱されまくるようになってきた。ブッダが消した最後の煩悩は、自分に止まった蚊をどうにかしたい欲と痒いところを掻きたい欲だったのでは、と真剣に考えたほどである。

しかし、本気で気になる。気にならないようになるのか、それとも生命の気を消して蚊がよらない術でも身に着けていたのか。

・ ブッダ・ガヤー の悪夢の夜 〜蚊に悩む
もうやってられん、と立ち去り、夜ご飯を食べたレストランの窓を見てぎょっとした。外側に蚊がすごい密度で止まっていたのだ。もう上着が欲しい冬なのに。

嫌な予感と共に、宿に戻ってまたびっくり。人生でこれだけの蚊密度の高い部屋に入ったことはあるまい。白い壁にはスーパーマリオのボーナスステージかというような蚊、蚊、蚊。モグラ叩き状態で部屋に帰った最初の一分で 10回ほど不殺生戒を破ってしまった。
その後、洗面所を含めて 30匹ほど駆除するも、壁に穴が空いていて、今頑張っても安眠は無理と悟る。宿でもらった蚊取り線香でこちらは苦しくなってきたのに蚊は元気に飛び回っているので、線香も消して寝る。強力なはずの虫除けも聴いていない。

蚊の量以外でもこの宿での夜は最悪であった。
夜中に不穏な音がすると思ったらネズミが荷物の上を走っている。ツインのベッドについていた二つの毛布を重ねても寒い。シーツは汚くベッドは堅く、毛布は誇りくさい。もう少しちゃんと部屋を見て判断すればよかった・・・しかも、外では明け方までおかしいくらいに大音量の宗教的音楽(おそらく仏教系ではない)が流れているわ、蚊との闘いも何ラウンドにも及ぶわで、一向に眠れない。

最悪のこの夜に風邪も引いた。朝になったら鼻水が止まらない。
次の日の夜の寝台に備えてヤクの柔らかい毛で作られたストールを購入。200Rp。結構気に入っていたが、コルカタの睡眠薬事件後、いつの間にかなくなっていた。

・ ブッダ・ガヤー 座禅の朝 〜蚊に悩むagain ★★★
朝と夕は印度山日本寺(超宗派によるお寺)に座禅を組みにいった。
ここに向かう朝に強盗にあった人もいるようだった。まだ暗い中、人の目のなくならないように気をつけて歩いた。
参加者は朝夕とも5人程度。やはり日本人が多かった。街がせまいので、彼らとは皆、どこか違う場所でも出会った。

二人のお坊さんによる、20分ほどの勤行があった後、座禅が始まる。

やはりここでも、蚊はつきまとってくる。
途中からもう意識は蚊に集中してしまう。
これは厳しい。雨季なんてどうなってしまうのだろう。

この地域は夏は 40度を軽く超える暑さときく。厳しい自然環境だからこそ開かれた悟りであることは間違いないと思っているが、中途半端な厳しさは、旅人にとってはそれだけで終わってしまうものであった。
この地を理解するには、やはり厳暑期に来たほうがいいのかもしれない。

お寺には無料の診察所が併設されており、早朝から人が集まり、並んでいた。無料の学校もあり、インドでの奉仕活動ぶりに頭が下がる想いであった。

・ セーナー村(スジャータ村) Sena Village 寄付で潤う村 ★★
ブッダ・ガヤーではそれほどやることもないので、苦行をやめて山を降りたブッダにスジャータが粥を与えた、というシーンの舞台であるセーナー村に歩いて向かう。

橋を渡った村の入り口には学校があり、壁には「青空学校」と感じで書いてある。日本人が設立に寄与しているようだが、なんとも「寄付をくれ」展開になりそうな予感がする。予想通り、「中を見ていけよ」という展開に。
ネパールで同様のことがあってあまり気分がよくなかったので
http://www5.pf-x.net/~tosh/travel/nepal/top.html#4
スルーしようかと思ったが、時間がたくさんあったので、ちょっとだけ見てみることにした。

で、入るといきなり十数人の生徒が一斉に立ち上がって挨拶してくる。タイミングよすぎ、というかこういうことに慣れまくっているのだろう。
見るだけだと思っていたのに、「さあ、何か教えてあげてください。」と立たされる。といきなり言われても困ったものだ・・・。とりあえずお決まりの日本語を15分くらい教えてみる。 先生が私の英語を通訳してくれる。

その後、2階でもう少し年上の人たちの授業にお邪魔する。
インド周辺の山について学習中ということで、ちょっと質問をしてみる。世界一高い山は?「カンチェンジュンガ」「いや、それはインド一高い山だよ」「エベレスト」「正解、ではそれはどこに?」「インド」。「No!」さっき教えたばかりだろ、と先生は苦笑い。とかいうやりとりの後、彼らには今後あまり関係ないだろう高山病についての話などをしてみた。

その後、校長?と雑談タイム。
いかに貧しいかを語って寄付を要求するのかと思いきや、それではインドではアピールにならないことを知っているのか、そういう話はしばらく出なかった。
まず「インドはどうか?」というので、観光客に絡んでくるインド人にはうんざりしていることについて話した。たとえば、ブッダ・ガヤーの街にたくさんいる日本語で「バイクで色々連れて行ってあげるよ。お金は要らない」という人の話を出して「知らない人のバイクに乗れるわけないし、まず彼は身元を明らかにすべきだ。彼も生きるのにお金が必要で、平日の昼から旅行者の遊びに付き合ってられるわけない。必ず最後はお金を取らなければならない。だったら最初から親切面しないで、xxRp+気に入った分のチップでガイドをさせてほしいとか、正直に自分の要求を話すべきだ」など。まあ彼に言ってもしょうがないを愚痴いっぱいこぼしてみた。彼はそれに真面目に対応してくれて好感度があがった。

そして、彼の説明。ここは孤児のための私設学校とのこと。「将来、観光客にたかるのではなく自分の力でお金を生み出してくれる子供たちを育てたい」というような、インド人疲れしている旅行者を喜ばせるような言葉を選ぶ。
で、学校の運営はボランティアでやっているけれど・・・と遠まわしに寄付歓迎の話が出る。

はっきりいって、インドの田舎の中では、この学校はかなり恵まれている。皆ちゃんとした文具を持っていたし、遊び道具も豊富に用意されていて、デジカメさえある。旅行者が毎日たくさん通るこの場所で、旅行者がそれまでに接してきたであろうインド人の中では特段にうさんくさくない感じで話ができる校長がいて、さぞかし寄付も集まっていることだろう。

寄付がどんな風に使われるか知れたものじゃないし、この学校で育った人は将来、真面目に働くよりもここを通る旅行者にいい話を聞かせて寄付をもらうのが一番おいしい仕事であることを知らずには卒業できないことを考えると、どうなんだろう・・・と悩んだが、「期待している」という意思表明だけは残しておきたいと、1000Rpもの(今までの宿代の合計に近い。日本でのx時間の労働分、ではなくて、安宿で眠れぬ夜を何度もすごして浮いた分、と考えることに) 寄付をする気になった。

卒業生という人がストゥーパを案内したいというので、してもらった。

・ セーナー村2 ~人を信用するために必要なもの
ストゥーパを見ていると、インド人の若い男達がバイクで通り過ぎたあと、戻ってきた。日英韓仏印5各語堪能の彼は「今日は仕事がないからよかったらバイクで案内してあげようか?」とまた調子のいいことを言っている。「知らない人のバイクには乗れないよ」と言ったものの、ブッダが苦行をしていたという山には行ってみたいし、その足がないのも確かである。「ボランティアじゃないよ、バイクが乗るのが好きなんだよ。燃料代は出してもらう」という話も若干真実度をあげている。とはいえ、現地人の乗り物に乗るならば更なる保証が必要である。

「じゃあ、失礼だけど君が信用できる人かどうか確認させてもらってもいい?」と言うと「いい」というので、さっきの学校まで戻る。 そして、先ほど話し込んだ校長に「ねえ、この人バイクで案内してくれるって言っているけれど信用してもいいの?」と聴いてみる。「彼は信用していいよ。燃料代払えば後は要求しないと言っているし」「それはいくらくらい?」「往復2〜3リットルのガスがいる。1リッターxxRpだよ」と、まあ妥当と思える数字が出た。「これで後でここに君が戻ってこなかったら、私が殺人犯って分かるでしょ」とライダーは笑った。笑い事じゃないが、村をあげての犯罪が起こるならもうお手上げだと、ここで彼を信用することにした。

そして、バイクに乗って苦行した山(乾いた岩山であるが、周囲も含めてなかなか壮観)大きな大きなガジュマルの樹などを案内してもらった。途中でガソリン屋によってガソリンを買う(ペットボトル入り)。彼は結構よい身なりをしていた。
22歳にして5各語が堪能なのは、独学でトイレに行くのも惜しんで勉強し大学に行ったからだ、とか、今はドキュメンタリ番組を作る仕事をしているとか、とある金持ち欧米人がミリオン$(1億円!)の寄付をしてくれて、それはすぐにルピーに換金できないけれど、この山のふもと辺りに畑を買って、人々に仕事を提供する計画を立てているとか、本当かどうかわからない話を色々としてくれた。半信半疑で聴きながしながら、バイクで田舎の道を行くのを気持ちよいと感じていた。

特にトラブルもなく村に戻ると、先ほどとは違う学校に連れて行かれた。
「前にここで働いていたんだ。寄付してよ」と単刀直入に言われた。そういうことだったのね。
他の先生らしき仲間も来る。私が「さっき寄付、もうあれ以上は無理」というと「ここはあそことは独立した学校だからまた別」とか「お金じゃなくて物でもいい。これから寒くなると、床に引くものが必要だから、それを例えば買ってくれないか」とか言ってくる。物を買っても、お店とはどうせ知り合いなんだからお金をあげるのと同じでしょ、と思う。この村はどこまで寄付を当てにしているんだ・・・。
彼らはでもしつこくはなかった。いくらでも観光客なんて通るのだろう。

ライダーは「最後にスジャータ村のお茶を飲んでから帰りなよ」と橋の横のお茶屋へ。人通りの多い場所なので問題ないとは思ったが、へんな混ぜ物されていないか注意しなければいけないのが、インドで心休まらないところである。
結局何ごともなく、お茶をごちそうになり、ちょっと雑談して、橋の向こうまで乗せてもらって、約束の燃料代を渡す。終わってみれば走った距離にしてはこれがやや多かったと思うが、「足りればいいけど」とと言ってみると「商売でやっているわけじゃないからね。足りない分は自分が払うよ」 と。
インド人って何を真意で言っているのか全然分からない。ただ、強盗沙汰にならないだけで「まあ悪くなかった」と思えてしまうようになっているのが怖い。

この日の夜、コルカタに向うために宿を出る。

外では、盛んに日本語でしゃべりかけてきた怪しいインド人が一人の日本人を捕まえて飲みにいくことになっていた。日本人は「一緒にどうですか?」と誘ってきたが、「もう行くので」と断る。こいつと飲みに行くなんて重々気をつけろよ、と思ったが、まさか自分がひどい目に巻き込まれるとはそのときは思わなかった。人は一度何かポリシーをまげてしまうと、どんどんたがが外れていくものだ、ということを実感した。

ここから睡眠薬強盗事件が始まった。