2008年12月12日金曜日

インド: ガヤ〜ラージギル

・ ガヤへ 狂犬におびえる & 電車を永遠に待つ & ゴミかぶる。
ガヤへの電車に乗るべくまだ暗い朝4時に宿を出る。旧市街は電灯もなく真っ暗でヘッドライトが役に立つ。
犬が狂ったように吠えている。初日にリクシャーから聴いた「最近旅行者が犬に噛まれた」というまさに周辺で、恐ろしい。でもきっと大丈夫、と細い路地を歩いていくとヘッドライトに光る二つの目。明らかにこちらを威嚇して吠えまくっている。これはまずいと引き返し、一旦ガンガーに出て河沿いを歩いたら大丈夫だった。真っ暗な中でも、たまに人がいた。

最初に見つけたリクシャーに乗ろうとすると、昼の5倍の値段をふっかけてきた。「この時間だからね、俺のに乗らないと歩く羽目になるよ」などと強気だが既に他のリクシャーが先に見えているのによく言えたものだ。すぐに去ってまともな人を探した。深夜の街は昼の喧噪が嘘のように静かで暗かった。通行量も少なく、運転もスムーズですぐに駅に着く。

しかし、超早起きして犬に怯えガンガーの日の出も見ずに頑張って駅に来た甲斐はまったくなかった。
電車はずるずると遅れ続ける。15分単位とかで到着予定時刻がずれていくので、絶え間なく流れる電車の遅延到着アナウンスを聞き続けなければならず、心休まらないし、駅の外で時間を潰すわけにも行かない。駅には待合室もベンチもなく、寒くて疲労困憊である。
空がすっかり明るくなった頃、30分の遅延追加がアナウンスされたので一度駅を出て炭を炊いている屋台でサモサを食べて待つ。屋台の周辺は土の上でたくさんの穴が空いており、ねずみが走り回っている。屋台のおじさんの足下からもちょろちょろ。おじさん曰くベストフレンド。長い間一緒だから情も移るだろうなあ。と、十分時間をつぶして戻ったつもりだったがそれからまた一時間以上ずるずると遅れた。結局4時間半遅れである。列車の途中乗車はそれまでの遅れを全部かぶることになるのでよくないということを悟った。

予定は崩れて、その後の保険の列車チケットを追加で取り直すはめになった。
バスにすればよかった、とかなんとか思いもしたがこれもまたインド体験。自国の感覚で予定を立てたのが誤りだ。ブッダが数ヶ月かけて歩いた道のりの逆を午前中で済まそうとしているのに何ごちゃごちゃ考えているのだ、とごちゃごちゃに追加が加わった。

道中、電車の中の床掃除する浮浪者風おじさんがいた。すごい料のゴミがすぐに集まる。しかし、残念なことに集めたゴミを私の横の窓から放り出してしまった。もちろん土に帰らない物も多数。多分仕事っぷりをアピールしたかったんだと思うが、わざわざ私の窓の横から放り出したため、荷物ともども埃をかぶった。
そして彼は執拗に私に金を要求してきた。しかも金額指定。

私は彼のしたことが「やらないほうがまし」なことだと思ったので、そう言って払わない姿勢を見せるが、英語は通じていない。彼は結構な剣幕で何度も私をつつく。そこそこ裕福そうな周りの人に通訳してくれと頼むが、してくれない。彼らは自分は払っていないくせに私に払えのジェスチャー。お互いにあまりに譲らないのでようやく一人が通訳したのか何かを伝えて、それで終わりになった。お互いにいいと思っていることが違うとやっかいである。

・ ガヤからラージギルへ
車窓からは乾いた土地、ちょうど刈り入れ期の田園地帯が続く。
ガヤからはバスでラージギルに向かう。ヴァラナシで電車待ち友になったロシア人カップルともうブッダガヤに行ってしまおうかなという誘惑もあったが、今日はラージギルの日本寺の勤行に参加して泊めてもらうつもりでいたので、別れる。

しかし、駅からバス停にいくのも一苦労。
馬車、自転車、人、バイク、オートリクシャー、リクシャーワーラー、車、バス、と様々な速度と大きさの乗り物が中央線もない狭い道を行くのだから大変。更に牛が道をふさいでいたりする。しかも運転手は全員インド人とあればその混沌状況は想像に難くないはず。

2時間といわれていたバスの旅も約2倍かかる。悪路に屋根まですし詰めのバス紀行は苦行。奥の人が一人降りる度に大移動が発生して停止。ラージギル到着は当初は午後すぐの予定が、結局はもうすっかり真っ暗になったあと。日本寺の勤行の時間も終了し、今からおしかけるのも迷惑になりそうだし、このあたりは夜の移動は厳禁らしいので、バス停から一番近い小さな家族経営の宿に泊まった。

・ インドで初お酒
朝からまともな食事をしていなかったので腹ぺこ。宿の主人に何かいいとこ知っているか聴くと、俺が作ったの食べるか、という展開に。喜んで受けるもできるのは1.5時間後というので小腹を見たそうと表に出てみた。小腹満たしてふと見るとインドに来て初めて表だってお酒を売っている場所を見つけた。
東部だし、仏教の聖地だし、イスラム勢力は弱いからか。
(まあ、仏教徒も飲酒は禁止なんだが)

ついインドのビールに好奇心が出てバーに吸い込まれてしまった。KING FISHERというこの地方のビールの大瓶が1本 70Rpとインドの物価ではとっても高い。味はフルーティー。思ったよりいける。アジアのビールではかなり上位。半分くらい飲んで満足したので、後は合席したインド人にあげて宿に帰る。
バーは薄暗く、ヌード写真が張ってあったりして、男が隠れて飲む的な雰囲気だったが、繁盛していた。

本当は今頃お寺の宿望で煩悩と闘っていたはずが、なんという展開。

宿の食事はカレーを中心としたよくあるインドの家庭料理。おいしかった。
仕事は子供が色々やってくれるのだが、何かするたびにチップを期待する視線が突き刺さり、ある時に部屋から出て行かなくなったので、10Rpのおこずかいをあげる。宿代が 150Rp ということを考えるいい額だと思うが、次回からも視線を感じ続けた。
ご飯代の請求はなかったので、チェックアウト時に 50Rp渡してお礼を言った。

この日、旅で最後の洗濯をした。
宗教施設に入る際に靴を脱ぐ機会が多いので、靴下が尋常でなく汚い(裸足で歩き回った後、汚い足で靴下を履くので)。
デリーで「すごく汚かったから」という理由で靴下のランドリー金額が2倍請求されたことに納得してしまった。

・ ラージギル 街 Rajgir ★★
ラージギルは山賊被害もあると聴くので、本日は不要な現金を宿に置き、自前の錠をかけて出発。カメラのメモリカードも入れ替えた(このカードがカメラと共にコルカタで盗まれたので、この後の写真が基本的に無い)。

ここでは、馬車がメインの移動手段であるが、メインの馬車スタンドまでは各国仏教施設を眺めながら歩く。
ベンガル寺に行ったら、僧侶に今晩泊まっていけと誘われた。日本人の僧侶も一人いるそうな。大変魅力的であるが、旅程的に今日中にブッダガヤーに行っておきたかったので、残念ながら断念。

・ 竹林精舎
国王から寄進されてブッダの教団が活動した場所。鐘の音が諸行無常の響きのする方ではない。
下手に整備されていて趣はない。単なる寂れた公園的で、瞑想場所は閉ざされていた。

現地の僧たちが人々に講和を行っていて、まだ仏教がインドでも生きているのを感じた。しかし、彼らはチケットを買わずに入っており、抜け道から出ようとしたところを捕まって怒られていた。

その横にある、昨日泊まり損ねた日本山妙法寺 も覗いてみる。人気が無いので、広い本堂を覗かせてもらう。
開祖らしい人のカラー写真が大きく本尊近くにあるのと、何妙法蓮華経のお題目を目にするので、日蓮宗系の新宗教らしいことは分かった(ここは法華経が説かれた、日蓮宗系にとっての聖地中の聖地)。また、世界各地にお寺を持っているらしいことも飾られた写真から分かった。

(果たしてそうであった。Wikipedia によると、成田空港の軍事利用ができないのはこのお寺の運動の成果らしい。)

・ ラトナギリ Ratnagiri 多宝山 &グリッドラクータ山 Griddhakuta 霊鷲山
★★★★
入り口までは馬車で移動。
なるほど山賊が活動しやすそうな木の密度である。
このあたりは巡礼者の山賊襲撃事件があるというので、常に他の集団が視界に入る範囲での行動を心がけた。ところどころ軍人の警備が巡回していた。

ラトナギリの頂上には日本山妙法寺による仏塔と寺がある。
お寺の中では日本の若いお坊さんが太鼓を叩き法華経を読み続けている。近くに行って彼から甘い物の施しを受ける、のがここでの巡礼法らしい。金平糖的なそれをなめながら、我々が大都市の喧騒にもまれているときもずっと、インドの僻地の山の上で世界の平和を祈り続けている人がいるのか、と思うと、心が洗われる気持ちになった。

しかし、しばらくしたら彼はインド人と交代。インド人は適当に太鼓を叩きながら近くの人と雑談をはじめ、あっという間に醒めてしまった。

そして、グリッドラクータ山へ下る。
ここはブッダが法華経なんかを弟子に説いた場所。インド人の団体が集会を行っていた。欧米人数人が瞑想をしていた。
ここは周囲の密林を見下ろす環境が素晴らしく、心が澄み渡る。ブッダがこの場所を愛した一つの理由が分かったと思った。

・ 温泉のバザール & 洞窟の仏像 &リスクテイク ★★★
街に戻ると、馬車亭のすぐ裏にあるインドでは珍しい温泉に行ってみた。タオルなどなかったので、湯船のある方にはいかなかった。私の行ったところは足湯プラス流れるお湯という感じだった。インド人は一生懸命身体をあらっており、下にたまった水はちょっと粘るような気がする。その気はなかったが、インド人たちが催促するので、私も頭と手足を洗い流してすっきりする。マントラを唱えた後高いお布施を要求するエセ宗教者がここにもいた。

また、温泉からちょっとした丘に登ることができる。見晴らしがよさそうなので行ってみる。上の方に行くと、棒を持った制服姿の男が話しかけてきた。彼は軍の人で、この辺は治安が悪いので人々のセキュリティを守るのが仕事だと言いながらついてくる。それが仕事なら拳銃くらい持っていていいんじゃねーか?とちょっと不審を覚える。勝手についてこさせると、同じ仲間が二人加わった。ちょっと嫌な予感だ。

頂上付近に着いた。ここにはお寺があり、周囲に人がいる。もう引き返そうと思うと、3人は「ここから裏に下ったところすぐに洞窟があって、中にブッダ象があるから見にいけ」という。そこから先は人の気配がないので、いきなりこいつらが山賊に代わるケースが十分に考えられる。洞窟にも興味があったので、「こいつらについていっていいのか」と周囲の人に目で尋ねるが回答ナシ。何度か断るが、すぐそこだという声に押されて結局行ってみることに。

洞窟は確かにすぐにあった。そこに入る前に改めてためらわれたが、入る。すると案内人がいてろうそくに火をつけてくれた。ブッダ像は小さい物だが、暗闇に置かれていることで味がある。ここで寄付を要求される。抗しがたい感じだったのでやつらの懐に入るのがわかっていながら少額を置く。とりあえず無事に洞窟は出ないとまずいなと感じていた。さて、出ると予想通り軍人たちは金をくれといって取り囲む。とても理解しづらい英語で、言い分の理由は分からない。

彼らが本当に軍人ならば、給料もらって安全を守る仕事をしているのに、なぜ頼みもしない私がお金を払わないといけないのか分からなかったし、他にもインド人旅行者がいたのに、お金をむしれそうな人がいたらそこに集結してしまい、インド人のセキュリティは考えなくていいのか?というところが許せなかったので、お金は払いたくない。

しかし、この場でそういうことでもめると身に危険が及びかねない雰囲気と環境。とりあえず人の目のある場所に行こうと「後で払うよ。元の場所まで安全に送り届けるまでが仕事でしょ」と提案。
彼らは迂闊にもその話をすぐに飲んでくれた。

さて、人目があっていざとなれば逃げられる場所まで来たところで、改めて催促してきた彼らに 10Rp渡す。当然彼らは怒っている。でも「仕事でしょ?給料もらってるでしょ?不満なら返して」と言いはなって振り切った。

インドで相当用心してきた私が、意識しながらリスクを犯したのはこれが始めてであった。この後、少しずつ気持ちが緩んでいった気がする。

2008年12月11日木曜日

インド: ヴァラナシ

・夜行電車でヴァラナシ(Varanasi / ベナレス)へ

夜行電車は 3A クラスというエアコンつき3段ベッドの寝台の一番上をネットで予約しておいた。エアコン付き車両は(エアコンの不要な季節でも)値段もエアコン無しの倍以上するが、その分治安がよいのと、エアコンなしは朝以降混むらしかった(実際はSLクラスはそうでなかった)ので、昼着までの長い道中に疲れないようにそうした。そこそこ清潔なシーツ、布団、まくらと食事がつくのもこのクラスから。予想外に夜が冷えるので役に立った(SLクラスに乗ったガヤ→コルカタ 間はつらかった)。

寝台はそこそこ快適であった。ベッドの長さはかろうじて足を伸ばせるか否かという程度だが、横幅はそれなりにあり、昨夜の宿よりマットが快適でシーツも布団も綺麗だし、蚊がいなく騒がしくない分よいくらいだった。昨晩眠れなかったせいで爆睡。朝にはほとんどの乗客は下車済みでのんびりできた。到着は予想通り遅れまくり。ただ、3Aクラスは車掌が乗客の面倒を見てくれていて、「~くらい遅れている」とか「あと○分で着くぞ」とか教えてくれる親切だった。

インド旅行で苦行を敢えて求めない人には絶対3A以上をお勧めする。種々リスクを考慮したらこっちの方が安くつくのではとも思う(私の強盗ケースでも、コルカタに行く際も、SLに乗っていなければ強盗につきまとわれなかったかもと思っている)。



・ ヴァラナシの困ったリクシャーたち



ヴァラナシ駅から、旅人の目的地であるガンガー付近までは徒歩で1時間くらかかるので、リクシャーの助けが必要になる。ちょっと高めだがプリペイド価格がリクシャースタンドに書いてあるのでぼられることは少ない。しかし、プリペイド価格が掲示されているというのは、ここの彼らにまつわるトラブルが多かったからだろう。そして、それは過去の話ではなかった。

彼らはコミッションのもらえる場所(多くは宿)に連れて行くことしか考えていない。私は変なところに連れて行かれたくないので、路地に入り込んで分かりにくくなる前にある交差点まで行くことをお願いする(そこから先はオートリクシャーは進入禁止)。しかし、「最近ある地区は野犬に噛まれる事故が多いから安心な場所に連れて行ってあげる」とか、「その交差点付近は治安が悪いからホテルまで連れて行ってやる」とか、乗り込んだ後に延々と言われて出発すらしない。出発させるために「ホテルの予約はもう取ったし、治安の確認もした。だからとにかく行って」とか、何度も言っているのに、頑として出発しない。「親切心で言っているのになぜ?」「お前は日本人なのになぜ冷たい?」とか本当にしつこい。

「つべこべ言わず今すぐ出発しないと降りる」という警告を何度も無視したの2つのオートリクシャーをあきらめて捨てて、道に出て流しのリクシャーワーラーを止める。20Rpで交渉がまとまると彼は黙々と仕事してくれ、寄ってくる客引きを振り払ってくれた。やはり流しに限る。

交通渋滞の中をゆっくりながら順調にその場に到着し、気をよくしてチップをあげてもよいかなという気にもなっていたが、最後に試したくなって交渉の値段 20Rp(オートリクシャーで50Rpがプリペイド価格) ぴったりで持っていたのに 50Rpを渡してみた。お釣りが少なかったら寂しいなと思っていたが、それどころではなく、お釣りを返さずに去ろうとしている。ちょっと待てと。しかし彼は英語が分からないという素振り。近くにいたインド人が仲介に入る。そして、この距離は「20じゃ可哀想だから 30だね」とまとめた。なんだか納得いかないがことを荒立てたくなかったのであきらめる。

仲介人はでもその後、宿とお土産屋の紹介屋に即変してうるさくつきまとってきたので、近所のレストランに逃げ込む。そこは歴史のあるベジタリアンのお店で、そこで食べたカレーは「肉なしでこのコクが出るのか?!」というおいしさだった。中は綺麗なのに窓際にネズミがいるなあと思っていたら、違う客がそれをボーイに指摘。追い払っていた。


後で旅行者に聴くと、やはりヴァラナシ駅前のリクシャーには皆苦労したようだった。

・ ヴァラナシ ガンガー付近 第一印象


ヴァラナシは噂通り混沌。河近くの古い街の道は細く迷路状になっており、とても迷いやすい。そこを様々な動物や人間が行き交っていて油断ならない。屋上に行けばサルが、地上では犬に噛まれるという事件もあるようだ(噛まれたら狂犬病予防が大変)。


宿に荷物をおいてさっそくガンガー(ガンジス河)を眺めに行く。ガンガーの水は期待通り汚い。しかし、第一印象はそれだけ。よくある汚い太めの河。岸の片方は密集した建物と階段状のガード、対岸には見事に何もない というシチュエーション以外特別なものは感じなかった。

各種死体を含めたありとあらゆるものが流れていて、河イルカも現れたりして、向こう岸には人骨があって・・・というような情報を、過去の旅人からもらいすぎていたため、行ったらすぐに驚愕!的な何かを求めすぎていたためだろう。


・ ヴァラナシのマッサージ屋 ★★★★


歩いていると、握手を求めてくる男がいる。マッサージ屋である。彼らは握手を求めてくるところから勧誘をはじめることにしているようで、「頭と肩マッサージしてあげる。10Rpだけ」と言っている。ちょっと凝りがあったのでやってもらう。


自分はアーユルヴェーダマッサージを世界で教えているとか、ウソ純度の高い話を何度もしている。動物やその糞に囲まれてマッサージというのはあまり落ち着かないが、実際のところ期待以上にうまかった。途中からシートの上に横になれと言われる。そうして腰や足のマッサージが始まったときに、これは 10Rpですまないなと思ったが、やはりそうで、「happyになったらお金をたくさんくれ、200とか...」と相当に桁の違う話に変わっている。結局 30分くらいやってもらった。押し売り状況ではあるが、実際にうまかったのでその技術と労働力と満足度を計算して悪くない額であろう 50Rpをあげた。彼はあと100・・・などとかましていたが、50Rpに満足している表情と態度が目に取れた。


他の旅行者がこの段階で「10Rpって言ったじゃん」と10Rpだけ渡したら「死のマッサージくらわせたろか」的なことを言われたという話が情報ノートに書いてあった。ここはインド、言い値で済むわけがない。最初の話(頭と肩)と内容が違ってきた時点で確認しなかった自分も悪いんだから、満足分の額を乗せてもいいのでは、ちょっと思ったりした。


味をしめて、次の日にも受けてしまった。この時は頭と肩+腰 の地点で二人目が登場して足をやりだした。もう満足だったので、終了。量的に初期提案の 1.5倍と思ったので 15Rp あげたら、1人は No! と言っていたが、もう1人は珍しくも 即Ok! だった。金額に満足したとしても取れるもんは取っとけ的に試してくるこういう人たちにしては本当に珍しいOk! であった。

・ ガンガーの反対側
★★★★


不浄の地とされるガンガーの向こう側に渡りたいと誰もが思う。聖地側を見渡せるのは向こう岸からだからだ。
しかし、へたなボートに乗ると向こうでトラブルに合うというような話も聴くし、一人だと値段交渉も面倒なので、インド人の集団にまぜてもらった。これならボートマンも小遣いが増えて気持ちいいだけだし、帰れない的な話にもならないだろうと。


外国人のシェア相場価格の半分くらいで交渉まとまり出発。向こう岸で「さっきの値段は片道のだよ。帰りたかったら・・・」とか予想通りのことを言い出すが相手にするのもバカらしいので無視。帰るとお金渡して、ありがとはいさよなら、こういうときにぴったりのお金がないと面倒なことになるので、インドではかなり頑張って小銭を集める(お釣りを持っていない人が多いので結構大変)ように心がけていた。


反対側に降りるには、ボートの着岸地点から裸足でガンガーの水に浸って歩いていく必要がある(ガンガーの水に浸ったのはこれが最初で最後)。海のように細かく、しなやかな砂を踏みしめて少し散策をする。雨季には多くが水没するであろう砂浜の向こうには潅木が見え、その先が気になる。しかし、それを覗くには時間が足りなさ過ぎるし、危険そうであるので、ぐっとガマンして狭い範囲を動き回るのみ。

水浴びを終えた水牛の群れが、対岸の彼方へ向っていた。

野犬が集まって何かを食べていた。

子供たちが凧揚げしている。

何でここにいるのか分からない人たちがぱらぱらといる。


夕日を背景にした聖なる街のガード(沐浴するために岸に作られた階段)を見たときに、ヴァラナシに来て初めて、ここがとても特別な場所だということを実感した。

・ ヴァナラシの夜 ★★★


日が沈むと、プージャー(お祈りの儀式)がメインガード(ダシャーシュワメード・ガート)付近ではじまる。火をふんだんに使った儀式である。1日目は、舟で正面から見た。2日目は横~後ろから、2日とも見続けた。


通奏の鐘が幾つも上に張られた糸につりさげられ、紐をうまくコントロールすることで鳴らされていた。一人の少年が飽きた感じで鐘を鳴らしていたのを見て、「や・ら・せ・て」と目でサインを送ったらその役をやらせてくれた。うまく音を鳴らし続けるのは意外と難しく、なんだか楽しかった。何を祈っているのかも分からないで申し訳ないが、人が祈ることなんてステレオタイプ、お寺の朝課で木魚を叩くのとそう遠くない世界だろうと思いつつ。


対岸から流されていく無数の鎮魂の?灯篭の火が美しい。
入り組んだ路地はメインの通りから一本奥に入ると暗く、人気がなくなるため、犯罪がしやすい。実際に色々なトラブルがあるらしく、深夜外出禁止の宿も多い。私の泊まったところ(景色がよかったので一泊70Rpの快適なドミトリに泊まった)も 22時で閉門。ヴァラナシでは日の出前から活動するのでどちらにせよ早寝。

ヴァラナシの朝 ★★★★★
朝は暗いうちから祈りの声と鈴が響きわたる。部屋の窓のすぐ外でやっているので自然と日の出前に目が覚める。



ヴァラナシといえばその日の出。沐浴も朝が一番さかんである。ボートでガンガーを行くのに最適な時間である。


前日にボートマンを、日の出30分前の6時からということで宿でお願いしておいて、同じドミに同じに日に着いた人を誘っていった。何かあったときに責任をとってもらえるからそうしたのだが、これが間違い。ボートマンは寝坊して散々遅刻した上に、我々をボートの上に載せた後にチャイなど飲んでゆっくりしている。我々の「コーヒーを飲まないと1日が始まらない」的感覚なのかもしれないが、日本人感覚ではなんと大胆不敵なである。日の出前の美しいマジックアワーこそが空の美しい時間帯のに・・・でも、なんとか日の出前には出発。

しかし、そんなじれったい気持ちは出発してすぐにふっとんだ。朝焼けの景色がとても美しい。朝日の昇る不毛の土地も、朝日に照らされる聖なる街も、風景として、美しい。そして、昇り始めた朝日に向って沐浴する人々の姿。宗教が生きている。なるほどここは聖地なのだ、とここに来て体感された。


それにしても、やはり観光客ボートは多い。ボートは沐浴する人に再接近はしないが、多数の人がカメラを向けている時にそれを意識しないでいることは難しい。アフリカのサファリと同じことを感じてしまった。見たいのはやまやまであるが、被写体を尊重して静かにもしてあげたいというジレンマ。いずれにせよ、少し凍えながらも、素敵なボートトリップを終える。


ボートマンは散々遅刻して「朝ごはん食べてないからパワーが出ない」とかは言うのにほとんどガイドもしなかった上に1時間の約束が50分しか漕がなかったくせに「よかっただろう、チップをくれ」とかほざいてきたので、彼の良くなかった点をずばずば言って「本当は約束のお金も払いたくないところだよ」、と正直なところをお伝えした。冷たい言葉もインドで英語だと簡単に出てきてしまうのがちょっと怖い。


さて、戻って一人歩きしているとまたボートマンに舟乗らないかと誘われる。が、その舟のすぐ先に、人間の死体がひっかかっていた。それが、ガンガーに浮かぶ始めてみた人間の死体。横を向いて、手足を屈伸した状態で、服を着た老人のようだった。それを見ても、感情は動かなかった。それは、ここがヴァラナシだからなのか。多分違うと思うが、正直なところよく分からない。私は彼に「その死体どけたほうが客つかまりやすいよ」とアドバイスしてあげなかった。

・ サールナート ★★


仏教の4大聖地の一つであるサールナートはヴァラナシから車で30分程度の場所にある。

ブッダガヤーで悟りを開いた仏陀が聖者の集まるヴァラナシをめざした末、ここに落ち着いて、最初の説法をしたとされている。その時に耳を傾けたのは、5人の弟子たちと、森に住む鹿たちだったとか。宿にあった手塚治虫の"ブッダ"のそのくだりを読んで気分を盛り上げる。1年ほど前に再読したこの漫画であるが、やはりご当地で読むとまた実感力が高まる。

ここは、相当に気持ちを盛り上げていかないと、"芝にねっころがるのが気持ちのいい小さな遺跡"で終わってしまう。仏教を愛する私が気分を盛り上げていっても、それで終わってしまった。


しかし、鹿が説法を聞いて感化されるなんて話は、真実だったとしても伝承しないほうが、より仏教を愛せたかもしれない。

・ 黄金寺院(ヴィシュワナート寺院) ★★★


黄金寺院と言われる聖地中の聖地。その名の通り、1トンの黄金で固められた塔がある。ここの警備は今まで見たどの観光地よりも厳しい。エルサレムよりも、である。ほぼ何も持ち込めないので預け入れをし、さらに二人のボディチェック。そうしてセキュリティをくぐっても、残念ながらヒンドゥー教信者以外は寺院の中に入ることができない。外壁の上から見られる部分を拝んで終わり。確かに黄金色の塔があった。


雰囲気も装飾も素敵そうな場所で残念であったが、確かに観光客に大切な場所と時間を荒らされないように守ることも大事だろう。

それを思い知るためにここに来るのも悪くない。






・ 火葬場 マニカルニカー・ガート ★★★★★


火葬場に路地側から陸路で行く。道は入り組んでいて、誰かに聴かないとまずたどり着けない。周囲の路地にはヒンドゥーの象がたくさん置いてあり、ネパールのカトマンドゥ周辺と似たような雰囲気であった。ガイドしたい人が「カソーバ?」とか「burning place?」とかいって声をかけてくる。振り切って着いた場所はあまり観光客のいないところ。


そこから火葬を眺めていると、少年がやってきて「その場所は観光客に開放されていないからこっちへ来い」という。いくと面倒なことになるのは知っていたが、少しだけつき合う。彼はがらんどうの家の3階に連れていく。


そこには老婆が独り寝ている。そこから火葬場を見下ろしていると、彼はここはホスピスで、この老婆は死を待っているが薪代を必要としている、という。なるほど寄付したくなるストーリーだが、こんな建物で、しかも独りしか人がいないホスピスなどあるまいよ。これは、ここはホスピスなどないし老婆と少年はグルで、逃げられない場所に追い込んで法外な薪代を要求するという詐欺である。宿にあった情報ノートで知っていたので、途中で仲間が登場して雰囲気があやしくなったときに2Rpだけ老婆に渡してダッシュで逃げた。大声出しながら追いかけてきたけれど、すぐに人のたくさんいる場所にいけるので怖くも無い。


しかし、いかにももう死を直前にし、「もうここで死んで焼いてもらう以外に本当に欲なんてないんだろうなあ」というように見える老婆が、外国人から法外な金を巻き上げる詐欺の片棒を担いでいるなんて、いったいどこまでインドなんだ、と思わせる。


そして、観光客の多い場所に行く。配慮してか、皆、現場から距離を置いたところで見ている。そこで私も、他の人と同様に、人間の焼けていく様子にかなり長い間、釘付けになっていた。白い布に覆われた死体が重ねられた薪の上に置かれる。その上に炭と籾殻のようなものを撒いて、火をつける。燃えるのには時間がかかる。布が焼け落ちると顔などがはっきりと見える。人だったものが物質になってゆくのをただただ見ていた。炎のすぐ横を飾りであった花や燃えていない藁を食べに来る牛、ヤギや犬がうろついている。凧揚げに興ずる子供たちはここにもたくさんいて、糸が燃えてしまわないか心配になるシーンもたくさんあった。

一時間半ほど呆けていたところで、一人のインド人が話しかけてきた。「これを見てどう思う」という難しい質問を投げてきた。どう答えていいのか全く分からず「それに答えるのは難しい」と素直に言った。すると「どう難しいの」と意外な追求が来た。実際のところ、思考は働いておらず、すぐに言語化できるような何かその時に何もなかった。「難しい」と言っているのだから何も答えないことで回答になるのではないかとも思ったが、彼がずっと答えを待っているので、「こういうシーンは今まで見たことがなく衝撃を受けている」と最初に浮かんだ、その場しのぎだけのまったく適当な回答を口にした。


今までどんな回答を観光客からもらったのか、私が逆に聴きたいくらいだった。


彼は私の滞在期間をたずね、それに「それだけではだめだね。ヴァラナシを理解するには、長い日数が必要だ」とまた返してくる。


観光客をカモにするやつらを振り払いながら長い時間こういう景色を眺めれば何が分かるというのか? 現地の言葉も分からず、現地の生活もせず、まったくすべてが違う国に家のある我々がここで日数を重ねたところでどうなるのか? これもまた、尋ねてみたかった質問だ。


さて、彼はそののち先に私が絡んだあの少年たちは嘘つきだから要注意だとか、火葬はもっと近くで見ても遺族は気を悪くしないよ(なぜなら君たちはゲストだから)とかいう情報をくれた。でも、結局最後には今、聖人が来ていて手相を見てもらえるよ、という話に。まったく押しつけがましくなかったが、観光地で占いを誘ってくる人は要注意であるということはよく知っている。お前もかという感じである。これをきっかけに帰ることにした。彼がこなければもっとずっと呆けていたに違いないと思う。


去り際に、火葬現場のすぐ近くにいたインド人達にちょっとこいよ、と声をかけられた。興味深い話を聴けるのかもしれないが、最後にはすべてお金の話に行き着くことにそろそろうんざりしてきたのでスルーして日の暮れた街を宿に引き返した。


・ 電車チケットの予約


電車のチケットを予約しに、外国人専用窓口に行く。ここは部屋になっていて、エアコン着きでふかふかの椅子に 座って待てる VIP な環境。しかし、進み方が尋常でなく遅い。私の前に2組の待ちがあっただけなのに、その発券処理が終わるのに、数分の停電を挟んで1時間近くかかったのだ。私は分はもう電車が決まっていたのだが、それでもお釣りがないとかで処理に5分かかる。きっと前の人たちは旅行相談所的なことになっていたんだろう。待ち人の量の増加に気を遣ったほうがよいのではとも思ったが、まあ、時間の惜しい人はこんなところに来ないでネットか旅行代理店で調べて予約するだろう。ここに来るのは、チケットの窓口予約自体を旅の1プロセスとして求めている人や、あるいは、他の旅人との出会いを求めている人などだろう。


・ ヴァラナシ 最終感想・沐浴


ヴァラナシに来たからには沐浴をしなければという話もあるが、私はしなかった。水質が沐浴に適していないことは実証されているし、沐浴後に体調を崩した旅行者も多くいる。今回は短期旅行なので足止めはされればそれで終わりになってしまう。移動が多く疲れ気味で抵抗力も落ちているだろうから、リスクは取りたくない。そして、リターンである「それまでの罪が洗い流される」についても、私は輪廻を信じているわけでもないし、それがあるならむしろ罪は背負っていくべきだし、欲しているわけでもない。

経験として興味がないことはもちろんないが、やめることにした。


しかし、ヒンドゥーにおいて罪とはなんなんだろう、と思った。インド人は嘘をつくことに関しては日本人ほど罪と思っていないというのは、いくら観光客がそういう人にとりわけ取り囲まれるとしても事実と感じる。悪い外国人からお金を取り返すのがより崇高な目的を達成するための必要悪とでも思っているのかもしれない。かくいう自分が、自己防衛として頻繁にウソを言っているように(宿は予約済み、とか、こないだ乗ったリクシャーはxxRpでそこまで言ったよ、とか)。いずれにせよ、宗教が分からないと理解しづらいものがたくさんある。もう少し勉強してから来ればよかった。


ここヴァラナシでは、母なるガンガーの懐に抱かれるために遠くから人が集まり、沐浴をし、死を待つ。コルカタのカーリー寺院では今でも毎日ヤギの首を刎ねる生け贄の儀式が捧げられている。
彼らはその行為によって神から実際に何かを与えられているのか。我々が考えるような物質的な、観測可能な観点ではきっとノーだろう。しかし、それらの行為の是非に疑いのない世界の中に浸り生きることができた人にとって、宗教に生きることそのものが心の支えであり、幸福の源泉となる。人は神に祈ることで幸せをさずかるのではなく、祈る行為自体が幸せの形なのだ、と思う。

そういう幸せをとてもたくさん見ることに、見せ付けられることになった、ヴァラナシであった。


以上は、ヴァラナシを出てからの感想である。実際にその地にいる時には、様々な勧誘が待ち受けており、河畔で気分に浸ることは難しい。聖地を食いものに観光客を狙う人々のために、絶えず緊張を強いられる。誰かが話しかけてくれば、最初は高尚な話でも最後は金くれや話に落ち着く。やれやれな世界ではあるが、聖も俗も、人も動物も、めちゃくちゃに入り混じった世界。それがヴァラナシの魅力なのだろう。



インド of インドとでも言えるようなここを、旅人の多くがインドでどこよりもこの場所を旅先として勧める理由が分かった気がする。タージマハールの感動は他の場所でも味わえる種のものであるが、ヴァラナシで味わえる感覚は、他のどの場所でも得がたいものであるからだ。


・ ヴァラナシで出会った人達


・ ヴァラナシで出会った人達1 「ぼけぼけの旅行者」

2日目の夜、独りで夜ご飯を食べ終えると、その出口で、昼の駅のチケット予約場所であって待ち時間に少しだけしゃべった日本人の一人旅女性に偶然あった。彼女は「私、ここに泊まっているはずなのに違う!」と意味の分からないことを言って途方に暮れている。話を聞くと、ガイドブックにも乗っているそのゲストハウスに自分は宿を取ったつもりでいたが、どうも実際は違うところに泊まっているとのこと。どうも、リクシャーに頼んだその場所と似た名前だけれど違うところに連れていかれ、それに気付かずに宿を取っているようだ。



二泊目の夜にしてようやくそれに気付くぼけっぷりに関心したが、聴くとやはりこれまでも散々やられてきたようだった。夜の独り街歩きは迷いやすく、女性一人では気持ちのいい散歩気分にもなれない場所なので、その宿を探す旅に付き合うことにした。聞き込み回数数知れず、途中で結婚式会場などに紛れ込みつつ、結局、メインガードから徒歩 30分の僻地にそれは見つかった。

彼女はやっとインドで人を疑うということを覚え始めたようだった。無事宿にたどり着くと、そこから私が見えなくなるまで長い間手を振ってくれた。

2008年12月8日月曜日

インド: アーグラー

・ アーグラー行きの最新鋭電車
さすがインド最速?電車。スピードは結構出ている。たった2時間ばかしの道中で水、お茶、新聞、軽食、朝食、と次から次へとサービスが続き、飛行機のよう。しかし、インド旅行が終わった今思うと、この電車の一番すごかったところは始発とはいえほぼ定刻に出て、しかも 30分(+25%)しか遅れなかったことか。

・ 世界遺産週間
デリー2日目、とある世界遺産に入ろうとしたが、チケットオフィスが閉まっている。

その日からインドは世界遺産週間というキャンペーンをはっておりで、入場料が不要だといわれる。
なんとラッキーな時期に旅行組んだんだろう、とルンルンで次の日に行ったタージマハール(外国人入場料入場料 750Rp を誇る)に行くと、チケット売り場が普通に稼動している。
実はこれ、世界遺産"週間"なのに入場料が無料なのは初日だけという、C○T○BANKの広告的な仕様だったのだ。
初日後の6日はいったい普通の日と何が違うのか、結局どこに行っても分からなかった。 リクシャーの運転手との「お前はラッキーだよ」「何を言いたいか知ってる!」という会話も2日目の朝で終了。

主に見たところ(星は5点満点オススメ度)

・ タージマハール ★★★★★
タージマハールでは外国人料金を払うと、ミネラルウォーターと建物の上で靴を脱がなくて済む靴カバーが付属する。余計なお世話である。靴カバーはいらないと言うと「ただなのになんでだよ」「ゴミになるから。裸足でいい」と返しても「いや、汚れるよ、お金とらないよ」としばらく追いかけられた。

さて、肝心のタージマハールであるが、最初に門の向こうに見えるときには「おお、散々写真やテレビで見てきたあれだ!」という感激がある。大きく均整の取れた建物は世界一美しい建物の一つと言われるだけあると感じた。
が、意外と近づくに連れてつまらなくなる。近くに行くと、ついつい細部の装飾などの作りを個別判定をしたくなってしまう。しかし、そのどれも過去に見てきた遺跡に対して独り勝ちをするわけではない。それで、期待が大きすぎただけに少しがっかりする。とはいえ、庭園含めてトータルで見て素晴らしい場所であることには相違ない。

というのが当時の感想だが、写真を見返すとやはり極めて美しいなあ・・・。
世界一絵になる建物の一つであることには相違なさそうだ。

・ アーグラー城 ★★★
ここにタージマハールの後に行くのはよくない。
大規模(半分は軍の施設なので見ることができないのが残念であるが)と建物の美しさ、内部装飾、遠くに見えるタージマハール、と悪くない要素がそろってはいるのだが、タージマハールの後ではなんだか印象に残りませんわ。
アーグラーでは最初にここに来て、タージに想いを馳せてから移動するのが吉。

・ ファテーブル・スィークリー ★★★★
アーグラーのバス停からバスで1時間ちょいかかるが、他の見所を打ち捨てて行った甲斐があったと思う。期待よりもよかった。

ローカルバスの終着点からはその立派な門が見え、期待が高まる。しかし、行き方がいまいち分からない。適当に歩んで行ったら迷った。そうしたら、地元の自称学生(以降ネタバレながら"偽学生"と呼ぶ)が案内してくれた。彼は「今、ハイスクールの学生で英語の勉強をしたいから、お金は取らないからガイドをさせて」という。絶対違うと分かっていながら、ガイドがあってもよいと思ったので追い払わない。
歴史ある街にありがちな見渡しの聞きにくい細い路地が続くので、おかしなところに連れ込まれていないかを確認しつつ、彼についてゆくと、無事に門にたどり着いた。

素晴らしかったのは無料のモスク地区の方だった。高台にそびえる巨大なブランド門と壁面の透かし彫りの精巧さ。タージマハールほど人もいないし、周囲の田園風景に溶け込んでいく周辺部で過去の都に想いを馳せつつぼんやりするのにもよい。

モスク地区を案内してくれた偽学生によると、ここからアーグラー城まで 40kmにも及ぶ地下通路があり、しかもその大きさは馬車が通れるという信じがたい話(しかし彼は 2km地点までは行ったことがあると言っ ていた)や、ひんやりした風が送られてくる天然のエアコンの場所や、たたくと周囲に音が響く壁など、一人で見ていては分からない面白いことを色々と教えてくれた。

象の鎮魂のために立てられた、多数の象牙が刺さった塔なども面白かった。
その辺りで、インドの子供たちの遠足集団に合う。数人が寄ってきて、私と写真を撮りたがると、全員がわっと寄ってきて混沌状態に。とりあえず全部の写真を取り終えて退散しかけたところで偽学生が子供の数人になんか言ったら「キャー」って女子学生たちが寄ってきて腕を組んできたりして、ちょっと困ったなという素振りをしつつ悪くない気分になっている自分に困った。
どうやら偽学生は「この人は日本の映画スターなんだよ」と言ったらしい。

偽学生は「ねえフレンド、もうこれでファテーブル・スィークリーは終わり。帰ろう。チップはいつも150〜200Rpくらいもらっているんだ」とか訳の分からないことを抜かす。

T「(聞こえなかったふり)あ、ところで、年は幾つなの」
偽「20歳」

インドでハイスクール生徒といえば日本の高校生より若いはずだ。彼は嘘に整合性をもたせようという努力はしないらしい。
最初から「自分は資格はないけれどガイドができるから、気に入った範囲でお金をくれればいいからやらせてくれ」と言ってくれれば、それなりに敬意を払えたが、下手な嘘と押し付けがましさがちょっと残念だった。

チップは少しはあげるとして、有料ゆえに目玉と思われる宮廷地区を見ずにここは去れない。宮廷地区も見ていくよ、というと

偽「あそこはアーグラー城と同じだからつまらない。お金の無駄だよ。それにもう16:30で終バス。逃したらアーグラーに帰るのにタクシーで700Rpかかるよ」
T(16:30とは、今が16時なのを見越して作り上げそうな時間だ)「いや、降りた時に地元民に帰りのバスは 18時まではあることを確認したし、ガイドブックにももうちょい遅くま であると書いてあるよ」
偽「ねえ、フレンドである俺とその人のどっちの話が信じられると思っているの?」
答えは決まっているだろうよ。
まず、フレンドじゃないし。

T「せっかくここまで来たから見ていくよ。帰りはタクシーでもいいや。」
とさよならすると、宮廷地区の入り口で認定ガイドや窓口でバスの時間を聴く。情報はばらばらだったけれど、18時くらいまではありそうだったので入ることに。
認定ガイド(この人の話は後述)の話によると、偽学生は「認定」でないので有料地区は入ることができないそうで、それでもう私を帰らせようとしていたのだった。偽学生には見合うだろうチップを払って、入場する。

有料地区の宮廷地区もそれなりに広く、装飾や作りも立派なものであった。少しネパールのカトマンドゥ周辺を思い出させる感じの造りであった。(ガイドがあったらもっと楽しめたかもしれないが、まともなガイドが見あたらなかった)。

・ ファテーブル・スィークリーからの帰り道
見終えるともう夕暮れ。外国人観光客はもう見当たらなくなっていた。

17時頃に街に降りて、バスを待っていると、宿で働く数人の客引き青年がやってきた。「ごめん、もう宿はアーグラーで取ってあってバスで帰るからまた今度きたら泊まるよ」と言って追い払おうと思ったが、暇らしく色々はなしかけてきて写真を撮ったり撮らせたり、私の腕時計をはめさせろと言って来たり(彼は宿の名刺もくれていたし「信用しろ」というのに賭けてはめさせてあげた)、と戯れながらバスを待っていると、偽学生がまたやってきて挨拶をしてくる。「16:30が終バスだよ」と言ったこと、覚えているのかな・・・。

17時と17:30には来るというバスは両方来ない。もしかしてバスはもうなくて「バスはないからうちの宿に泊まれ」という展開?と疑いつつあった。
彼らは「来ないね。立ちっぱなしもつらいだろうからお茶でも飲んで待てば」といって、バスを見逃さない場所にあるチャイ屋に連れて行ってくれた。チャイに変な混ぜものしていないかなど過程を凝視しつつ、注文したチャイを飲んで待つ。ちょっと座ると彼らはもう帰らないと、と行ってしまった。彼らは悪い人ではなかったと少しほっとした。

しかしバスは本当に来るのか?
チャイ屋の主人曰く「18時には最終が来る」と言うが、来ない。

「バスはよく遅れるし、よく来ないんだよね。バスも色々と大変なんだよ。」などと彼はのんびりしているが、もう周囲は暗い。

18時を過ぎると彼は「もうバスは来ないね」と不穏なことを言う。
T「え、また遅れているだけじゃないの?」
チャイおやじ「impossible!」

・・・なんだか今日はだめらしい。

しかし、当然 700Rp のぼったぐりリクシャーなんて乗る必要は無い。
チャイ屋の主人の勧めにより、乗り合いオートリクシャー(2Rp)でバイパスまで出てそこでアーグラーに向うミニバス(20Rp)に途中乗車。周囲の人は協力的ですんなり。最初からこうしていればよかった。ミニバスの中はマリファナのと思われる煙に満ちていた。そして、誰かのやぎが通路をふさいでいて、そのせいで奥に行けない人がいて混乱気味。私も頑張って奥に進むも、すれ違うときにそのやぎに足舐められた。やぎは揺れるバスに疲れたのか、持ち主でない乗客の足に頭を乗っけたりしていたが、置かれている方は気にする様子も無い。

バスはやがてアーグラーに着いたが、期待していたバス停と違う。

困ったなと思っていると、すぐに乗客が「どこに行きたいのか」と聴いてくれた。その場所を告げると、ああそこなら「トゥクトゥクで 5Rp」と。リクシャーで 5Rpは現地料金としても安すぎると思ったが、それを材料に数人と交渉すると 30 以下にはならない。5Rp では鼻で笑われる。あれ、やっぱり。。。と困っているとバスの乗客が戻ってきて ついて来い という。どうやらトゥクトゥクというのは乗り合いリクシャーのことだったようだ。なるほど。そこそこの距離を乗りあって、ようやく目的地に。
慣れない街の夜なので降りる場所も独りでは分からなかった。この道中はたくさんの人に親切を受けて嬉しかった。

向こうから声をかけてくるインド人でも親切な人はいるんだなあ・・・と、この旅で最初で最後?に思った。

夜行を待つために取った宿に戻ってご飯を食べ、シャワーなどを浴びる。

夜行は 23:30 発。夜は危ないのでと、駅までは5分ほどだが、宿の人が一緒にリクシャーに乗ってきてくれた。ありがたい。

「アーグラーではタージマハールが汚れないように工場が強制閉鎖されたりして、職を失った人がマフィア化し、観光客の危険度は北インドでも最悪だ」という話をデリーでは聞かされていた。まあ、この話は「だからうちのツアーに乗れ」と続いたのでどこまで真実かは分からないが。

しかし、むしろインド人の優しさに触れて平和な気分になったアーグラーであった。

アーグラーで出会った人達

観光地のガイドは、誰かのガイド終了後に自分への推薦状を書いてもらい、他の観光客を勧誘する時に活用しようとする。アーグラーではこの傾向が強く、リクシャーの運転手もガイドもこぞって日本語で書かれた自称「日本人の友達がくれた手紙」を見せてくた。

・ アーグラーで出会った人1 「自分のひどさを証明するリクシャー」
駅からバス停への移動をお願いしたリクシャーワーラー運転手。「ねえ、僕はいい人だからこの後も一緒に観光地まわろうよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって見せてくれたそこには
「この人は金に汚い。まあ、並みのインド人ということだけれど。地球の歩き方に書いてあるようなトラブルに巻き込まれたくなければ"非"○○さん(彼の名前)をお勧めします」
というようなことが書いてあった。
最初から「バス停に直行してそこで終わりにしなければお金を払うつもりはない」といい続けたので、特に何も起こらなかった。

・ アーグラーで出会った人2 「自分のひどさを証明する認定ガイド」
ファテーブル・スィークリーの宮廷地区入り口にいた認定ガイド。「ねえ、僕はいいガイドだから雇ってよ。200Rp、いや150Rpでいいよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって、数日前の日付と日本人女性の名前の入ったそれを私に見せる。そこには、
「ガイドは100Rpといっていたのに450Rp請求された(数字部分は漢字で書いてある)」
「土産物屋に連れ回された」
「"このあとやろう"と言われた」
とか、悪いことしか書いていなかった。

もちろん断って、独りで中をまわる。出てきたところ、また彼が近づいて来る。そして、この推薦状、なんて書いてあるか全訳してくれないかとお願いされた。
この推薦状で客が取れたことがないので、きっと内容を疑っているのだろう。被害者を増やさないよう、この推薦状は是非このまま使い続けて欲しいので、「フレンドリーでいいガイドだと言っているよ」と適当に言う。しかしそれで済むほど文章は短くなく、彼は「全部訳して」と言う。やる義理もないのだが、適当な文章を作って聴かせた。

それは彼を傷つけないようにと、被害者を減らすためと思って自然にやったが、それは間違いだったかもしれないと後で思った。

彼はおそらく、ガイドされる人が何を嫌と感じるのかに気づいていない。もしも、気づいていれば、彼女に推薦状を書いてもらうのは間違いだと知っているはずだろう。長期的で前向きな私の対応は、中身を全部正直に訳して、「少なくとも日本人の価値観でこれらは喜ばれないからやめたほうがよい」と説教たれることだったかもしれなかった。

2008年12月5日金曜日

インド: デリー

・ デリー空港から街へ

デリー空港の深夜到着に関しては、嫌な話をたくさん聞く。ぼったくり旅行会社や高いホテルに勝手に連れて行かれるのはうんざりだし、身の危険に及んだり行方不明になっている人もいるというので、今回は信頼のおけるとされているところ送迎(1500JPY:宿予約代行つき)をお願いしておいた。
(旅行中、空港から街への過程でトラブルにあっている人に相当数あったので、お願いしておいて本当によかった)

到着は予定通り22時。
見たところ、同じ便で来た外国人のほとんどの人間に出迎えが来ているようだった。しかい私の迎えはゲートで見つからない。周囲の人に英語は通じまくるし空港の雰囲気は悪くないので迎えが忘れていたら独りで街に行けばいいやという気持ちになっていた。でも、もし迎えに来てもらっていたら申し訳ないので電話をかけてみた。すると彼は空港の外で待っていたということが判明。どうも中に入るのにお金がかかるっぽい。それからすぐに落ち合えた。ATMでお金を降ろす。ここはインド。ATM でもついつい出てきた札を数えてしまう。

道にはねずみが走っている。街は煙っている。空港の駐車場の多くの車の上には塵が積もっていた。外に出て3分で既にデリーは、私の中の「住めない街リスト」にノミネートされた。

運転手は英語が上手ではなかったが少し話していたところ、彼はどうも東京が中国の都市だと思っているということが分かり、ちょっとびっくりした。

助手席に座る。シートベルトはしたほうがいいのか聞いたが、答えは質問が終わる前に判明した。ベルトは既になかった。

運転手が何か電話をしている。
「手配してもらっていた宿が満員だから違うところにいかねば」という超定番の嘘を言うではないか。一週間前に予約完了と聴いたのに何事、どうせこれでコミッションなりのある高い宿に連れて行かれるのだろうとがっかり。
しかし、ここはよい期待はずれ。満員になっていた宿の近くのもう少し高い宿に連れて行き、安くはない、予約した宿との差額を支払ってくれた。やはり口コミで信頼できるとされているところはできる。

こうして、デリー空港から宿へ というインド旅行の大きな関門を楽に終え快眠を勝ち取ることができた。

デリーもろもろ

・ 道トイレ
デリーに限ったことではないが、道には犬や牛がたくさん。いたるところに糞尿が転がり、くさい。
噂には聞くが、夏だったらこれは地獄だと思う。
街を歩いていると、よく壁に立ち小便のあとが残っている。それも町の臭さの一要因。人のとおりが少ないところなどは公衆便所と化しており、人間のものと思われる大きいほうまでたくさん落ちていた。

・ 信号
この街は車の量の割りに異常に信号が少ない。しかも、あっても稼動していない率が異常に高い。

・ 国会議事堂 + 大統領府
立派。後者はバッキンガムを思い出させる感じ。
議事堂の屋上には猿が巣くっている。

・テロ対策
インドは現在、テロが盛り上がっているため、観光地はもちろん、地下市場に入るときなどにもいちいちチェックが入る。本気でやっていると時間がかかりすぎるので適当。あまり意味がないと思われた。
地下鉄は渋滞も事故もないし面倒な交渉もいらないので便利だったが、ボディチェックがいちいちあるので人が多いとかなりの行列ができてしまっていた。
駅前や駅にもセキュリティゲートがあったが既にそれは打ち捨てられていた。

・ 食事
行列のできている南インド料理レストランでタリーなるものを食す。
10種類を越す具を配合しつつご飯やチャパティと食べるのだが、配合は私には難しく1つずつ食べる。それでもおいしかった。現地の人は汁気をうまくご飯が固まる程度につけて手で食べやすくやっているが、これがそこそこ難しいしあまり味わえない。
私の前で合席で食べていた人がご飯を残し気味だったのを、近くの人が「それ、いらないならくれ」的な交渉をしてもらっていっていた。

インドはイスラムが豚を、ヒンドゥーが牛を食べることを禁止しているために、肉と言えば羊と鳥がメインになる。マクドナルドではチキンとベジーとフィッシュしかないため、メニューはちょっと寂しかった。べジーバーガーに興味があったが結局食べる機会はなかった。

イスラム教地区っぽいところに迷い込んだ時にローカルな食堂に入ったら「ビーフカレーしかない」と言われてすごくおいしいカレー&チャパティを10ルピーで食べさせてくれた。

・ 映画
インドの映画人気はすごい。彼らがどんな風に映画を見ているのかに興味があったので、ちょっと新鋭の映画館に行って見ることにした。
平日の午前公演なのでがらがらだろうと思って始まって少したってしまったところにはいると、ほぼ満員。95%くらい埋まっているだろうか。

インド映画と言えば安っぽい演出に男女が戯れインド音楽に合わせて踊るシーンの連続、というイメージだったが、今一番人気らしいので私の選んだ映画は意外やライティング、効果音、カメラワーク等それなりのレベルだった。
DOSTANA http://www.dostanathefilm.com/

音楽に合わせて手拍子がなる、指笛がなる、期待通り、ノリがよい。
これはライブなのか?
それほど長いわけでもないのに途中、休憩時間があった。ポップコーンなどを買えということなのだろう。

・ ネルー大学
インドの有名大学を見てみたくて行った。
なぜか地球の歩き方にネルー大学にある食堂が紹介されているので、ちょうど昼時にあわせて街外れのそこに行ってみたが、無休とあるそこは閉まっていた。
しょうがないので散歩だけしてみたが、大学の入り口付近は関係者が住むであろう寮や一戸建てがずっーと並んでいる。周りは緑が多くて素敵な場所ではあるが、広すぎてキャンパスにたどりつく前に断念。

・ 宿

初日から移った安宿(200Rp/S)では二日ともあまり眠れなかった。畳とほぼ同じくらいのベッドの堅さに虫除けにひるまない蚊の攻撃。閉まらない窓からの音とすきま風。
夜は容赦なくうるさかった。隣の人や外のインド人の大きなしゃべり声、犬の鳴き声、なぜか壁をガンガンたたいている部屋がある。眠れないので外の空気を、と部屋の外に出ると、なぜか韓国人が泊まってる部屋のドアに耳をくっつけて中の音を盗み聞きしているインド人が。なにしてんだか。

・地下鉄
そこそこ綺麗。セキュリティチェックが面倒だが値段交渉もなくて楽なので頻繁に使用した。
座席シート一列6席のうち2つ中には女性専用。

・ローカルバス
バスも女性が優先っぽい。先に座っている男性を目でどかしている女性がたくさんいた。

バスには数字が書いてあるだけなので行き先は誰かに聞かないと分からない。しかし、混んでいても極度には客を乗せないため、スリ集団に密着されて、とかいう危険性はあまりなさそうで、十分使いこなすことができた。
お金回収係が誰かが乗るたびに車内を移動してお金を受けにいくシステムなので、人がすり抜けられないくらいまでにはしないシステムっぽい。
開閉ドアはないので、デッキに捕まってちょっと移動してそのまま飛び降りて去ってしまう人もいたが。

主に見たところ(星は5点満点オススメ度)

・ クトゥブ・ミーナール Qutb Minar
★★★★
バス停を見つけるのが時間かかった&それらしきバス停にとまらなかったので走っているバスから飛び降りた。 それを見た乗客がインド人が親指をたててグッジョブサイン。
巨大な塔がなかなか美しい。ガイドブックに「中庭に4世紀頃に作られたのに錆びていない鉄柱がある。地球外文明の影響か」みたいなくだりがあって期待していたが、思いっきり錆びていたんだよこれが。

・ フマーユーン廟 Humayun's Tomb ★★★★
期待していなかったけれど、規模と庭園を除けばタージマハル並みに美しいと思う。

・ ジャマー・マスジット
大きくてそれなりのモスク。それだけかも。
外れにラール・キラーが綺麗に見えるのがいい点?
周囲のオールドデリー市街は混沌としていて面白い。

・ラール・キラー Lal Qila ★★
別名 レッド・フォート。デリーの見所 No1 的だけれどあまり印象がない。
広い。ところどころ装飾が綺麗。その程度か。

遠足っぽい男子学生が何度か外国人女性をいきなりわっと取り囲んでおさわり攻撃をしたりしていた。あれは男でも怖かろう。
セキュリティはそれを統制できていなかった。

・ 国立博物館 ★★
ここには遠藤周作の「深い河」に登場して、登場人物に大きな心象を与える「チャームンダー像」がここにあると聴いて来た(小説では、ヴァラナシの寺院にあるとされている)。
廊下にあるのをやっと見つけたが「ああ、見なければよかった」であった。 イメージはイメージです。

たまたま二ヶ月前に行った善光寺の特集をやっていた。
まあ、悪くない博物館である。

ちなみにこの博物館で一番興味を持った像たちはよく見たら南米からのコレクションだった。南米の古代絵とかって独創的で宇宙を感じる。好き。

デリーで出会った人達

・ デリーで出会った人1 「とりあえず金をくれ」
休憩中のバスの運転手にバス情報をたずねる。
教えてくれた後に、10ルピーくれと言われた。なんでやねんというと、じゃ 5ルピーでいいからという。ナンデヤネン。お金のかわりに感謝の言葉でガマンしてもらった。

・ デリーで出会った人2 「少し頭の良い物乞い」
「お金をくれとはいわない。でも食べ物をくれ」という物乞いがきた。お金より食べ物等、直接的なものを施す方が抵抗がないし、より施しをした満足感にひたれる心理をよくご存じである。しかし、彼は英語がうますぎるし顔色よすぎるし、you are
luckey と何度も言うのが鼻についたので無視した。3分くらいくっついてきた。

・ デリーで出会った人3 「日本人ヨガ旅行者」
夜はチベット料理食べたいようかなあとそれがある場所にいくが、看板はあっても入り口がない、困ったなどうしよう、と立っていると、夜はチベット料理食べようかなあとそれがある場所にいくが、看板はあっても入り口がない、と私に約1分遅れて困った日本人女性2人組に合った。一緒にラッシーを飲んで、違う場所でチベット料理を食べた。

彼女らは3ヶ月のインド/ネパール旅行をしている終盤。最初の一ヶ月はヨガトレーナーになる地獄の訓練を受けていたそうな。その時の話や、神と交信できるというおじさんに出会った話や荷台にバナナと共にリクシャーとして運んでもらった話など、とても面白かったので、是非旅行記を書いてくださいとお願いした。文章だとどうなるか分からないけれど、楽しみにしているのであった。

デリーの感想
インドの入り口デリー。
客引きもそれほどしつこくないし、寄付をと付きまとってくる人もあまりいないし、路上生活者も多そうでない。英語もよく通じて一般人は概して親切。宿を取ってぼったぐり旅行会社にさえいかなければ旅は簡単。人に好戦的な感じもないし、狙われているような視線を感じることもない。スラム的な混沌としていて、或る程度以上近づき難い感じのところももちろんあったが、インドと構えていただけあってちょっと拍子抜けだった。

2008年12月3日水曜日

睡眠薬強盗 in コルカタ

ブッダ・ガヤーの外れを歩いていると、ネパール人旅行者という人が声をかけてきた。 インドでは、向こうから声をかけてくる人はほとんどが金を巻き上げてこようとする人なのでほぼ無視することにしていたが、彼は現地の人と顔立ちとやや違っていたのと、南京錠つきのリュックを持っていたので、旅行者と信じて、話をしてしまった。

私が今日の夜行でコルカタに行くというと、彼も「自分もだよ」という。ただ、彼のは20:35発で私のは23:15発だった。しかし、どちらに乗るせよ、ガヤでは夜遅くの移動は大変危険とされているので、19時頃には「乗り合いの何か」で10kmくら離れたガヤ駅に移動終了しておかなければならない。
時間をどうつぶすか悩んでいたところだったので、彼の「じゃあ一緒にご飯食べて時間潰そうよ」という提案を受けて、19時に駅の待合室、と約束した。

駅につき、インフォメーションセンターへ。コルカタの地図ある?と聴いたら色あせた日本語のパンフレットを見せてくれた。情報古そうなので見たら1985年製のものだった。

待合室にネパール人はいなかった。
まあよい。駅前は排気ガスとあらゆるゴミで焚き火するため空気が最悪に汚く、そこから逃れて待てる場所を探した。 しかし、インドでは「屋内の食堂」というものは少な目である。
みつけた、駅前のホテルの中にある食堂に入った。
そこでメニューを見ていると、彼がやってきた。偶然同じところに来たようだ。
そして、ご飯を食べる。

なかなか居心地のいい場所だったので、お茶でも飲んでずっと時間を潰そうと思っていたのだが、彼は「ビールが飲みたいからバーに行こう」という。はっきり行って気乗りはしなかったが、彼はその日が誕生日だというなんだか信じられない話を言って誘うのを断りきれない。彼の仲間の店につれていかれて散々な目にあったら嫌だなあとか思いつつ、尻尾を掴む前に切り捨てるのは悪い気になっていた。

彼は散々駅前で聞き込みをしたあげく、バーはこの駅の近辺にはないらしい、という。
(ヒンドゥー語なので本当は何を聞いていたのか分かったものではない)。
その代わりに酒屋を発掘。私は自分は1本でいいといったのだが、彼はだめだだめだとビールを小瓶に6本買う。駅の誰もいないベンチで飲もうというも、どこにも人がいる。
彼曰く、駅や公共の場でお酒を飲むと1000ルピーの罰金なのだそうだ。

じゃ、もうあきらめようよといいたいところだったが、彼の執念は強い。
リクシャーワーラーに乗り込み、お酒を飲める場所を尋ねる。そして、10分近く走って、人気のないだだっ広い公園へ。

治安の悪いガヤのような場所で周りに人気のないところに行くのは危険なので、私は行きたくない、といったのだが、見るともう1カップル人なんか飲んでいる人がいるし、まあいいかという気に。
(ここもどうしても抵抗しておくべきシチュエーションだった)

座って、ビールを飲む。
彼はあっという間に一本をあけたらしく「終わり」という。
「あれ、もう飲まないの?」
「残りは1本は電車に乗ってから、もう1本は朝用」という。
そして、私が飲み終えるとなぜかまだビールが半分近く入っている瓶を出してきて、「シェア」といい私の空瓶に半分入れる。
ちょっと不信に思いつつそれを飲んだ私は相当ばかだったのだが、その時には何も起こらなかった。
そして、すぐに「電車逃すと嫌だからすぐ帰ろう」と言い出したので、その時には睡眠薬は仕込まれていなかったと思われる。

彼は駅前でビールにはこれが一番と、屋台でゆで卵を6つも買って、駅の待合室で待つ。

電車は3時間遅れで23時発が2時発に。もう電車を待つのにはうんざりである。
その間に彼はまたビールを飲もうとして、人に見つからないようにするために滑稽な動作をたくさんしていた。ビール狂なのかと。そして、さっきの卵は全部私にあげるという。6つも食えるか! (2つ食べた)

出発時間が近くなってきたので駅のプラットフォームに移動。ホームからはありとあらゆるゴミが投げられ、公衆トイレ状態で、たくさんのネズミがはいまわる。

さて、ここあたりで今後の事件の複線がいくつか既にあった。

その1
私が買ったビールを持っていたのだが、もう自分はいらないから全部持っていって、と渡した。彼がリュックをあけると、同じビールが更に2本入っていた。どんだけビールが好きなのだとその時は思ったが、今思えばあれが睡眠薬が仕込まれていたものだったのかもしれない。

その2
彼は20:35の電車に乗るといっていたはずなのに、なぜか私と同じ電車の、しかも同じ車両に乗った。
私が以前に買って乗れなかった電車のチケットを彼が見て「キャンセルして半額取り帰してきてあげるよ。ちょっと待ってて」と一人で彼はチケット売り場にいったが、きっとその時に始めて自分のチケットを買ったのだと思う。

私はちょっと気持ち悪くなって、朝になったら駅ですぐ逃げてやろうと思っていた。彼の行動スタイルは私のものとは違っていたし、電車に乗った後まで行動を共にするのはごめんだと思っていた。

しかし、朝になると、無言で消えるのは悪い気になって「自分は一人で動きたい。あなたといると旅は楽だが、むしろ苦労を楽しむのが自分のスタイルなのだから、ここで別れたい」と提案した。しかし、彼は(ポスト)誕生日に一人でいるのはつらい。せめてランチまでだけでも一緒にしようという。

私は同情の気持ちだけでそれを受け、午前の3時間だけつき合おうと思った。結果的にはそれが過ちになった。

彼は駅に宿を取れば楽だよといってきたが、旅行者の集うサダルストリートに行きたかったので、そこに行って私は宿を取る。彼とならタクシー交渉がとても楽だ。彼は駅の宿がチェックインPM2時だから、後で取るといって、もともと小さめのリュックを持ち歩いていた。

そして、カーリー寺院へ。たまたま一人の日本人が列の目の前に並んでいた。
メトロ以外はタクシーが主な交通手段で、リクシャーのあまりいないコルカタでは一人旅はしにくい。なので、3人でしばらく動くことにした。

そして、ランチタイム。
彼は、レストラン内で食べるとサービス料が高いからといって、とあるレストランでテイクアウトをした(おいしかったが、昨晩のご飯とまったく同じメニューを頼みよった!)。
そして、すぐ近くにランチを食べるのに素敵な場所があるからと、目の前に素敵な公園があるのにタクシーとフェリーを乗り継いで、人に道を尋ねる"フリ"をしつつ歩き、たどり着いたのは人気のないしけた庭園。

タクシーとフェリー代払ったらサービス料どころじゃないだろうし、なぜそこまでしてこんなしけたところに? 日本人二人はちょっと不審に思った。
でも、ご飯を食べる。

「さあ、ビール!」と2本のビールを取り出してふたを開ける。
そのうちの一本だけが泡が噴出し、一本は何もでなかったのは、後者が既に空けられていたからだろう、ということはその時には考え付かなかった。

彼は、2本のうちの1本をビール狂のくせに半分くらい飲むと、残りの1本からそこに継ぎ足しを行い、「自分はもういいからあとは二人で飲みな」という。
これがネパールスタイル??と思ったがもっと警戒すべきだった。

私達は滑稽にもバースデーソングなど歌ってあげた。
そして、あなたのバースデーなのだからもっと飲みなよ、という我々のビールの勧めには当然乗らなかった。

私が薬の多いほうの瓶を飲んだ。
もう一人の日本人は少ないほうを飲んだ。

そして、なんか眠いなあ、というのすらなくそこから記憶が飛んでいる。

もう一人の日本人は先の記憶があり、その話によると、
・ 眠くなったが、ネパール人が「ここでは寝るのはよくない」と言い、3人で違う公園に移動した。
・ とても眠くなったけれど眠ったらやばいと抵抗したが、結局寝る。
・ 2時間後に目が覚めるとネパール人はいない
・ 彼は何も盗まれていなかった
・ 私も「何も盗まれていない」と言った ← 実際その地点でどうだったかは不明
・ 彼は眠いので宿に帰るといったが、私は「今日1日しかないからもう少し見て回る」と言った。

とのことだった。

(この話からすると、ネパール人は我々がそれなりに意識があるように見えたので盗むのをあきらめて、私が一人行動はじめてぶっ倒れた後に誰かが盗んでいったという可能性もある)

人生とは数奇である。

彼は宿に帰ると14時間眠り続け、起きた後もおかしな意識状態だったという。私は2日間近く記憶が飛んだ。もし一人であのビールを飲み干していたら、後遺症が残ったかもしれないし、更にはもう目覚めなかったかもしれない。カーリー寺院に唯一いた日本人がたまたま自分たちの目の前に並んでいて(前日、彼はブッダガヤの日本寺で共に座禅をしていたことが後で明らかに)一緒に来たがったという要素が重ならなければどうなっていたか。
(むしろもう少し警戒して事件にはならなかったかもしれない)

大学生のときに交通事故で入院したことがあった。事故の前からしばらく記憶が飛んでいた。その体験を通して実感したこと。人生なんていきなり簡単に終わってしまいうるものなのだということ。死ぬというのはあのまま意識がもどらない、それだけのことなのだということ。それを今回も思った。

私は、2日後に、サダルストリートの宿のベッドの上で目が覚めた。
宿の人がタクシードライバーにお金を払えと言う。何の話だが全く分からないのできくと、どうやら私はその日の朝に「空港に行かないと」と、てぶらでタクシーに乗って、そのまま引き返してきたそうだ。そのような記憶は全くないが、周りの人の証言から事実のようだったので、人にお金を借りて払った。

盗られたのは現金と一眼レフカメラのみ。財布はチェーンでズボンにつけていたからか、盗られず。リュックの中身やクレジットカード、パスポートは無事。人目が合って、盗む時間がほとんどなくて残していったのかもしれない。ともあれ、それらがあったのでその後の旅の遂行自体は簡単で助かった。

人に聴くと、どうやら事件日の夜中の2~3時に、人に連れられて私は帰ってきたらしい。
自分がどこに泊まっていたのかを伝える事はできていたようだ。

2日間の間、朦朧とした、断片的な記憶がなくはない。
目が覚めるもののどこにいるのかよく分からない。なんとなく警察に行かねばと思う。しかし、隣のベッドの人に止められる。昼の0時だと思っていたのは夜のそれだったのだ。そして寝るが、一時間後にまた同じようなことをしようとした。あと、トイレに行って吐いたりした記憶があるようなないような。

周りの人には迷惑を随分かけたが、荷物を置くために共同部屋のドミトリにベッドを取っていたのが幸いして、なんとか皆に支えられながら意識を普通に戻すことができた。感謝である。

意識がある程度戻った翌日に、被害にあった日本人と警察に行った。
状況説明を口頭でした後、文書で私が書く。それを警察官が清書する。そしてランチを食べた現場に、格子つきの囚人収容車みたいなので行って様子をチェック。署に戻ってさらに清書。これで5時間経過。しかし、ここにきて同行者は「あの公園では寝ていない。3人は違う公園に行ってそこで寝た。」と言う、私がそれまで知らなかった話をした。
警官はちょっといらっときて、「それが本当なら、全部書き直しでまたその現場に行くことになるがどうなんだ」と言う。面倒だろう、やめとこうぜ、とう視線を感じる。確かにもううんざりだ。目的はポリスレポートをもらうことなので、「いや、さっきの話が本当ということで」ということに。どうせ犯人なんて見つける気はないんだろうなあと思った。だって、犯人の様相として聴かれて説明したのはたのは幾つくらいかと、めがねナシ、色黒い、中肉中背で背は高くない、髪はちょい後頭部はげかけ、と服装くらい。その半分は私が自主的に言ったものだ。しかしまあインドにどんだけそんなやつがいるねんと。もっと役に立ちそうな、彼のとった夜行列車の予約したシート番号をしっていたので教えるも不要と言われた。指紋だっていくらでも取れたろうにしないし、本気で犯人を捕まえる気がないのは明らかであった。 彼の写真はカメラごと消えたので提出できず。

さて、ポリスレポートが取って空港に行ってシンガポール空港に情状酌量の新チケットをもらってさっさと帰国したいと思っていたが、すべての作業が終了したらもう夜だったので、やめた。全部で 6~7時間かかっていたが、そのプロセスの遅さにまったくいらつかなかったのは、クスリの作用で時間の経過が普段と同じに感じられていなかったからだ。丸2日たっても消えない薬効。いったい何を飲まされたんだ。

まあ、二人もいて警戒心を働かせなかったのはからが旅人として見える能力に相当長けていた問いのもあるが、二人とも抜けていたのも確かである。

今後の旅行に置いての人間不信度が極度に高まることが予想される悲しい出来事であった。

でも、本当に悲しかったのは、信頼というものにつけこんだ彼のこと以上に、旅の無事を祈ってくれている人がいるというのを知っていて、リスクと分かっている行動を自分が取ってしまったことだ。
これは大きな悔いであるし、お詫び申し上げたい。

写真は警察と現場検証時に携帯で撮った写真。(日本の)携帯も盗まれなかった。