2008年12月8日月曜日

インド: アーグラー

・ アーグラー行きの最新鋭電車
さすがインド最速?電車。スピードは結構出ている。たった2時間ばかしの道中で水、お茶、新聞、軽食、朝食、と次から次へとサービスが続き、飛行機のよう。しかし、インド旅行が終わった今思うと、この電車の一番すごかったところは始発とはいえほぼ定刻に出て、しかも 30分(+25%)しか遅れなかったことか。

・ 世界遺産週間
デリー2日目、とある世界遺産に入ろうとしたが、チケットオフィスが閉まっている。

その日からインドは世界遺産週間というキャンペーンをはっておりで、入場料が不要だといわれる。
なんとラッキーな時期に旅行組んだんだろう、とルンルンで次の日に行ったタージマハール(外国人入場料入場料 750Rp を誇る)に行くと、チケット売り場が普通に稼動している。
実はこれ、世界遺産"週間"なのに入場料が無料なのは初日だけという、C○T○BANKの広告的な仕様だったのだ。
初日後の6日はいったい普通の日と何が違うのか、結局どこに行っても分からなかった。 リクシャーの運転手との「お前はラッキーだよ」「何を言いたいか知ってる!」という会話も2日目の朝で終了。

主に見たところ(星は5点満点オススメ度)

・ タージマハール ★★★★★
タージマハールでは外国人料金を払うと、ミネラルウォーターと建物の上で靴を脱がなくて済む靴カバーが付属する。余計なお世話である。靴カバーはいらないと言うと「ただなのになんでだよ」「ゴミになるから。裸足でいい」と返しても「いや、汚れるよ、お金とらないよ」としばらく追いかけられた。

さて、肝心のタージマハールであるが、最初に門の向こうに見えるときには「おお、散々写真やテレビで見てきたあれだ!」という感激がある。大きく均整の取れた建物は世界一美しい建物の一つと言われるだけあると感じた。
が、意外と近づくに連れてつまらなくなる。近くに行くと、ついつい細部の装飾などの作りを個別判定をしたくなってしまう。しかし、そのどれも過去に見てきた遺跡に対して独り勝ちをするわけではない。それで、期待が大きすぎただけに少しがっかりする。とはいえ、庭園含めてトータルで見て素晴らしい場所であることには相違ない。

というのが当時の感想だが、写真を見返すとやはり極めて美しいなあ・・・。
世界一絵になる建物の一つであることには相違なさそうだ。

・ アーグラー城 ★★★
ここにタージマハールの後に行くのはよくない。
大規模(半分は軍の施設なので見ることができないのが残念であるが)と建物の美しさ、内部装飾、遠くに見えるタージマハール、と悪くない要素がそろってはいるのだが、タージマハールの後ではなんだか印象に残りませんわ。
アーグラーでは最初にここに来て、タージに想いを馳せてから移動するのが吉。

・ ファテーブル・スィークリー ★★★★
アーグラーのバス停からバスで1時間ちょいかかるが、他の見所を打ち捨てて行った甲斐があったと思う。期待よりもよかった。

ローカルバスの終着点からはその立派な門が見え、期待が高まる。しかし、行き方がいまいち分からない。適当に歩んで行ったら迷った。そうしたら、地元の自称学生(以降ネタバレながら"偽学生"と呼ぶ)が案内してくれた。彼は「今、ハイスクールの学生で英語の勉強をしたいから、お金は取らないからガイドをさせて」という。絶対違うと分かっていながら、ガイドがあってもよいと思ったので追い払わない。
歴史ある街にありがちな見渡しの聞きにくい細い路地が続くので、おかしなところに連れ込まれていないかを確認しつつ、彼についてゆくと、無事に門にたどり着いた。

素晴らしかったのは無料のモスク地区の方だった。高台にそびえる巨大なブランド門と壁面の透かし彫りの精巧さ。タージマハールほど人もいないし、周囲の田園風景に溶け込んでいく周辺部で過去の都に想いを馳せつつぼんやりするのにもよい。

モスク地区を案内してくれた偽学生によると、ここからアーグラー城まで 40kmにも及ぶ地下通路があり、しかもその大きさは馬車が通れるという信じがたい話(しかし彼は 2km地点までは行ったことがあると言っ ていた)や、ひんやりした風が送られてくる天然のエアコンの場所や、たたくと周囲に音が響く壁など、一人で見ていては分からない面白いことを色々と教えてくれた。

象の鎮魂のために立てられた、多数の象牙が刺さった塔なども面白かった。
その辺りで、インドの子供たちの遠足集団に合う。数人が寄ってきて、私と写真を撮りたがると、全員がわっと寄ってきて混沌状態に。とりあえず全部の写真を取り終えて退散しかけたところで偽学生が子供の数人になんか言ったら「キャー」って女子学生たちが寄ってきて腕を組んできたりして、ちょっと困ったなという素振りをしつつ悪くない気分になっている自分に困った。
どうやら偽学生は「この人は日本の映画スターなんだよ」と言ったらしい。

偽学生は「ねえフレンド、もうこれでファテーブル・スィークリーは終わり。帰ろう。チップはいつも150〜200Rpくらいもらっているんだ」とか訳の分からないことを抜かす。

T「(聞こえなかったふり)あ、ところで、年は幾つなの」
偽「20歳」

インドでハイスクール生徒といえば日本の高校生より若いはずだ。彼は嘘に整合性をもたせようという努力はしないらしい。
最初から「自分は資格はないけれどガイドができるから、気に入った範囲でお金をくれればいいからやらせてくれ」と言ってくれれば、それなりに敬意を払えたが、下手な嘘と押し付けがましさがちょっと残念だった。

チップは少しはあげるとして、有料ゆえに目玉と思われる宮廷地区を見ずにここは去れない。宮廷地区も見ていくよ、というと

偽「あそこはアーグラー城と同じだからつまらない。お金の無駄だよ。それにもう16:30で終バス。逃したらアーグラーに帰るのにタクシーで700Rpかかるよ」
T(16:30とは、今が16時なのを見越して作り上げそうな時間だ)「いや、降りた時に地元民に帰りのバスは 18時まではあることを確認したし、ガイドブックにももうちょい遅くま であると書いてあるよ」
偽「ねえ、フレンドである俺とその人のどっちの話が信じられると思っているの?」
答えは決まっているだろうよ。
まず、フレンドじゃないし。

T「せっかくここまで来たから見ていくよ。帰りはタクシーでもいいや。」
とさよならすると、宮廷地区の入り口で認定ガイドや窓口でバスの時間を聴く。情報はばらばらだったけれど、18時くらいまではありそうだったので入ることに。
認定ガイド(この人の話は後述)の話によると、偽学生は「認定」でないので有料地区は入ることができないそうで、それでもう私を帰らせようとしていたのだった。偽学生には見合うだろうチップを払って、入場する。

有料地区の宮廷地区もそれなりに広く、装飾や作りも立派なものであった。少しネパールのカトマンドゥ周辺を思い出させる感じの造りであった。(ガイドがあったらもっと楽しめたかもしれないが、まともなガイドが見あたらなかった)。

・ ファテーブル・スィークリーからの帰り道
見終えるともう夕暮れ。外国人観光客はもう見当たらなくなっていた。

17時頃に街に降りて、バスを待っていると、宿で働く数人の客引き青年がやってきた。「ごめん、もう宿はアーグラーで取ってあってバスで帰るからまた今度きたら泊まるよ」と言って追い払おうと思ったが、暇らしく色々はなしかけてきて写真を撮ったり撮らせたり、私の腕時計をはめさせろと言って来たり(彼は宿の名刺もくれていたし「信用しろ」というのに賭けてはめさせてあげた)、と戯れながらバスを待っていると、偽学生がまたやってきて挨拶をしてくる。「16:30が終バスだよ」と言ったこと、覚えているのかな・・・。

17時と17:30には来るというバスは両方来ない。もしかしてバスはもうなくて「バスはないからうちの宿に泊まれ」という展開?と疑いつつあった。
彼らは「来ないね。立ちっぱなしもつらいだろうからお茶でも飲んで待てば」といって、バスを見逃さない場所にあるチャイ屋に連れて行ってくれた。チャイに変な混ぜものしていないかなど過程を凝視しつつ、注文したチャイを飲んで待つ。ちょっと座ると彼らはもう帰らないと、と行ってしまった。彼らは悪い人ではなかったと少しほっとした。

しかしバスは本当に来るのか?
チャイ屋の主人曰く「18時には最終が来る」と言うが、来ない。

「バスはよく遅れるし、よく来ないんだよね。バスも色々と大変なんだよ。」などと彼はのんびりしているが、もう周囲は暗い。

18時を過ぎると彼は「もうバスは来ないね」と不穏なことを言う。
T「え、また遅れているだけじゃないの?」
チャイおやじ「impossible!」

・・・なんだか今日はだめらしい。

しかし、当然 700Rp のぼったぐりリクシャーなんて乗る必要は無い。
チャイ屋の主人の勧めにより、乗り合いオートリクシャー(2Rp)でバイパスまで出てそこでアーグラーに向うミニバス(20Rp)に途中乗車。周囲の人は協力的ですんなり。最初からこうしていればよかった。ミニバスの中はマリファナのと思われる煙に満ちていた。そして、誰かのやぎが通路をふさいでいて、そのせいで奥に行けない人がいて混乱気味。私も頑張って奥に進むも、すれ違うときにそのやぎに足舐められた。やぎは揺れるバスに疲れたのか、持ち主でない乗客の足に頭を乗っけたりしていたが、置かれている方は気にする様子も無い。

バスはやがてアーグラーに着いたが、期待していたバス停と違う。

困ったなと思っていると、すぐに乗客が「どこに行きたいのか」と聴いてくれた。その場所を告げると、ああそこなら「トゥクトゥクで 5Rp」と。リクシャーで 5Rpは現地料金としても安すぎると思ったが、それを材料に数人と交渉すると 30 以下にはならない。5Rp では鼻で笑われる。あれ、やっぱり。。。と困っているとバスの乗客が戻ってきて ついて来い という。どうやらトゥクトゥクというのは乗り合いリクシャーのことだったようだ。なるほど。そこそこの距離を乗りあって、ようやく目的地に。
慣れない街の夜なので降りる場所も独りでは分からなかった。この道中はたくさんの人に親切を受けて嬉しかった。

向こうから声をかけてくるインド人でも親切な人はいるんだなあ・・・と、この旅で最初で最後?に思った。

夜行を待つために取った宿に戻ってご飯を食べ、シャワーなどを浴びる。

夜行は 23:30 発。夜は危ないのでと、駅までは5分ほどだが、宿の人が一緒にリクシャーに乗ってきてくれた。ありがたい。

「アーグラーではタージマハールが汚れないように工場が強制閉鎖されたりして、職を失った人がマフィア化し、観光客の危険度は北インドでも最悪だ」という話をデリーでは聞かされていた。まあ、この話は「だからうちのツアーに乗れ」と続いたのでどこまで真実かは分からないが。

しかし、むしろインド人の優しさに触れて平和な気分になったアーグラーであった。

アーグラーで出会った人達

観光地のガイドは、誰かのガイド終了後に自分への推薦状を書いてもらい、他の観光客を勧誘する時に活用しようとする。アーグラーではこの傾向が強く、リクシャーの運転手もガイドもこぞって日本語で書かれた自称「日本人の友達がくれた手紙」を見せてくた。

・ アーグラーで出会った人1 「自分のひどさを証明するリクシャー」
駅からバス停への移動をお願いしたリクシャーワーラー運転手。「ねえ、僕はいい人だからこの後も一緒に観光地まわろうよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって見せてくれたそこには
「この人は金に汚い。まあ、並みのインド人ということだけれど。地球の歩き方に書いてあるようなトラブルに巻き込まれたくなければ"非"○○さん(彼の名前)をお勧めします」
というようなことが書いてあった。
最初から「バス停に直行してそこで終わりにしなければお金を払うつもりはない」といい続けたので、特に何も起こらなかった。

・ アーグラーで出会った人2 「自分のひどさを証明する認定ガイド」
ファテーブル・スィークリーの宮廷地区入り口にいた認定ガイド。「ねえ、僕はいいガイドだから雇ってよ。200Rp、いや150Rpでいいよ。ほら、日本の友達もたくさんいて手紙をくれるんだよ」といって、数日前の日付と日本人女性の名前の入ったそれを私に見せる。そこには、
「ガイドは100Rpといっていたのに450Rp請求された(数字部分は漢字で書いてある)」
「土産物屋に連れ回された」
「"このあとやろう"と言われた」
とか、悪いことしか書いていなかった。

もちろん断って、独りで中をまわる。出てきたところ、また彼が近づいて来る。そして、この推薦状、なんて書いてあるか全訳してくれないかとお願いされた。
この推薦状で客が取れたことがないので、きっと内容を疑っているのだろう。被害者を増やさないよう、この推薦状は是非このまま使い続けて欲しいので、「フレンドリーでいいガイドだと言っているよ」と適当に言う。しかしそれで済むほど文章は短くなく、彼は「全部訳して」と言う。やる義理もないのだが、適当な文章を作って聴かせた。

それは彼を傷つけないようにと、被害者を減らすためと思って自然にやったが、それは間違いだったかもしれないと後で思った。

彼はおそらく、ガイドされる人が何を嫌と感じるのかに気づいていない。もしも、気づいていれば、彼女に推薦状を書いてもらうのは間違いだと知っているはずだろう。長期的で前向きな私の対応は、中身を全部正直に訳して、「少なくとも日本人の価値観でこれらは喜ばれないからやめたほうがよい」と説教たれることだったかもしれなかった。

2008年12月5日金曜日

インド: デリー

・ デリー空港から街へ

デリー空港の深夜到着に関しては、嫌な話をたくさん聞く。ぼったくり旅行会社や高いホテルに勝手に連れて行かれるのはうんざりだし、身の危険に及んだり行方不明になっている人もいるというので、今回は信頼のおけるとされているところ送迎(1500JPY:宿予約代行つき)をお願いしておいた。
(旅行中、空港から街への過程でトラブルにあっている人に相当数あったので、お願いしておいて本当によかった)

到着は予定通り22時。
見たところ、同じ便で来た外国人のほとんどの人間に出迎えが来ているようだった。しかい私の迎えはゲートで見つからない。周囲の人に英語は通じまくるし空港の雰囲気は悪くないので迎えが忘れていたら独りで街に行けばいいやという気持ちになっていた。でも、もし迎えに来てもらっていたら申し訳ないので電話をかけてみた。すると彼は空港の外で待っていたということが判明。どうも中に入るのにお金がかかるっぽい。それからすぐに落ち合えた。ATMでお金を降ろす。ここはインド。ATM でもついつい出てきた札を数えてしまう。

道にはねずみが走っている。街は煙っている。空港の駐車場の多くの車の上には塵が積もっていた。外に出て3分で既にデリーは、私の中の「住めない街リスト」にノミネートされた。

運転手は英語が上手ではなかったが少し話していたところ、彼はどうも東京が中国の都市だと思っているということが分かり、ちょっとびっくりした。

助手席に座る。シートベルトはしたほうがいいのか聞いたが、答えは質問が終わる前に判明した。ベルトは既になかった。

運転手が何か電話をしている。
「手配してもらっていた宿が満員だから違うところにいかねば」という超定番の嘘を言うではないか。一週間前に予約完了と聴いたのに何事、どうせこれでコミッションなりのある高い宿に連れて行かれるのだろうとがっかり。
しかし、ここはよい期待はずれ。満員になっていた宿の近くのもう少し高い宿に連れて行き、安くはない、予約した宿との差額を支払ってくれた。やはり口コミで信頼できるとされているところはできる。

こうして、デリー空港から宿へ というインド旅行の大きな関門を楽に終え快眠を勝ち取ることができた。

デリーもろもろ

・ 道トイレ
デリーに限ったことではないが、道には犬や牛がたくさん。いたるところに糞尿が転がり、くさい。
噂には聞くが、夏だったらこれは地獄だと思う。
街を歩いていると、よく壁に立ち小便のあとが残っている。それも町の臭さの一要因。人のとおりが少ないところなどは公衆便所と化しており、人間のものと思われる大きいほうまでたくさん落ちていた。

・ 信号
この街は車の量の割りに異常に信号が少ない。しかも、あっても稼動していない率が異常に高い。

・ 国会議事堂 + 大統領府
立派。後者はバッキンガムを思い出させる感じ。
議事堂の屋上には猿が巣くっている。

・テロ対策
インドは現在、テロが盛り上がっているため、観光地はもちろん、地下市場に入るときなどにもいちいちチェックが入る。本気でやっていると時間がかかりすぎるので適当。あまり意味がないと思われた。
地下鉄は渋滞も事故もないし面倒な交渉もいらないので便利だったが、ボディチェックがいちいちあるので人が多いとかなりの行列ができてしまっていた。
駅前や駅にもセキュリティゲートがあったが既にそれは打ち捨てられていた。

・ 食事
行列のできている南インド料理レストランでタリーなるものを食す。
10種類を越す具を配合しつつご飯やチャパティと食べるのだが、配合は私には難しく1つずつ食べる。それでもおいしかった。現地の人は汁気をうまくご飯が固まる程度につけて手で食べやすくやっているが、これがそこそこ難しいしあまり味わえない。
私の前で合席で食べていた人がご飯を残し気味だったのを、近くの人が「それ、いらないならくれ」的な交渉をしてもらっていっていた。

インドはイスラムが豚を、ヒンドゥーが牛を食べることを禁止しているために、肉と言えば羊と鳥がメインになる。マクドナルドではチキンとベジーとフィッシュしかないため、メニューはちょっと寂しかった。べジーバーガーに興味があったが結局食べる機会はなかった。

イスラム教地区っぽいところに迷い込んだ時にローカルな食堂に入ったら「ビーフカレーしかない」と言われてすごくおいしいカレー&チャパティを10ルピーで食べさせてくれた。

・ 映画
インドの映画人気はすごい。彼らがどんな風に映画を見ているのかに興味があったので、ちょっと新鋭の映画館に行って見ることにした。
平日の午前公演なのでがらがらだろうと思って始まって少したってしまったところにはいると、ほぼ満員。95%くらい埋まっているだろうか。

インド映画と言えば安っぽい演出に男女が戯れインド音楽に合わせて踊るシーンの連続、というイメージだったが、今一番人気らしいので私の選んだ映画は意外やライティング、効果音、カメラワーク等それなりのレベルだった。
DOSTANA http://www.dostanathefilm.com/

音楽に合わせて手拍子がなる、指笛がなる、期待通り、ノリがよい。
これはライブなのか?
それほど長いわけでもないのに途中、休憩時間があった。ポップコーンなどを買えということなのだろう。

・ ネルー大学
インドの有名大学を見てみたくて行った。
なぜか地球の歩き方にネルー大学にある食堂が紹介されているので、ちょうど昼時にあわせて街外れのそこに行ってみたが、無休とあるそこは閉まっていた。
しょうがないので散歩だけしてみたが、大学の入り口付近は関係者が住むであろう寮や一戸建てがずっーと並んでいる。周りは緑が多くて素敵な場所ではあるが、広すぎてキャンパスにたどりつく前に断念。

・ 宿

初日から移った安宿(200Rp/S)では二日ともあまり眠れなかった。畳とほぼ同じくらいのベッドの堅さに虫除けにひるまない蚊の攻撃。閉まらない窓からの音とすきま風。
夜は容赦なくうるさかった。隣の人や外のインド人の大きなしゃべり声、犬の鳴き声、なぜか壁をガンガンたたいている部屋がある。眠れないので外の空気を、と部屋の外に出ると、なぜか韓国人が泊まってる部屋のドアに耳をくっつけて中の音を盗み聞きしているインド人が。なにしてんだか。

・地下鉄
そこそこ綺麗。セキュリティチェックが面倒だが値段交渉もなくて楽なので頻繁に使用した。
座席シート一列6席のうち2つ中には女性専用。

・ローカルバス
バスも女性が優先っぽい。先に座っている男性を目でどかしている女性がたくさんいた。

バスには数字が書いてあるだけなので行き先は誰かに聞かないと分からない。しかし、混んでいても極度には客を乗せないため、スリ集団に密着されて、とかいう危険性はあまりなさそうで、十分使いこなすことができた。
お金回収係が誰かが乗るたびに車内を移動してお金を受けにいくシステムなので、人がすり抜けられないくらいまでにはしないシステムっぽい。
開閉ドアはないので、デッキに捕まってちょっと移動してそのまま飛び降りて去ってしまう人もいたが。

主に見たところ(星は5点満点オススメ度)

・ クトゥブ・ミーナール Qutb Minar
★★★★
バス停を見つけるのが時間かかった&それらしきバス停にとまらなかったので走っているバスから飛び降りた。 それを見た乗客がインド人が親指をたててグッジョブサイン。
巨大な塔がなかなか美しい。ガイドブックに「中庭に4世紀頃に作られたのに錆びていない鉄柱がある。地球外文明の影響か」みたいなくだりがあって期待していたが、思いっきり錆びていたんだよこれが。

・ フマーユーン廟 Humayun's Tomb ★★★★
期待していなかったけれど、規模と庭園を除けばタージマハル並みに美しいと思う。

・ ジャマー・マスジット
大きくてそれなりのモスク。それだけかも。
外れにラール・キラーが綺麗に見えるのがいい点?
周囲のオールドデリー市街は混沌としていて面白い。

・ラール・キラー Lal Qila ★★
別名 レッド・フォート。デリーの見所 No1 的だけれどあまり印象がない。
広い。ところどころ装飾が綺麗。その程度か。

遠足っぽい男子学生が何度か外国人女性をいきなりわっと取り囲んでおさわり攻撃をしたりしていた。あれは男でも怖かろう。
セキュリティはそれを統制できていなかった。

・ 国立博物館 ★★
ここには遠藤周作の「深い河」に登場して、登場人物に大きな心象を与える「チャームンダー像」がここにあると聴いて来た(小説では、ヴァラナシの寺院にあるとされている)。
廊下にあるのをやっと見つけたが「ああ、見なければよかった」であった。 イメージはイメージです。

たまたま二ヶ月前に行った善光寺の特集をやっていた。
まあ、悪くない博物館である。

ちなみにこの博物館で一番興味を持った像たちはよく見たら南米からのコレクションだった。南米の古代絵とかって独創的で宇宙を感じる。好き。

デリーで出会った人達

・ デリーで出会った人1 「とりあえず金をくれ」
休憩中のバスの運転手にバス情報をたずねる。
教えてくれた後に、10ルピーくれと言われた。なんでやねんというと、じゃ 5ルピーでいいからという。ナンデヤネン。お金のかわりに感謝の言葉でガマンしてもらった。

・ デリーで出会った人2 「少し頭の良い物乞い」
「お金をくれとはいわない。でも食べ物をくれ」という物乞いがきた。お金より食べ物等、直接的なものを施す方が抵抗がないし、より施しをした満足感にひたれる心理をよくご存じである。しかし、彼は英語がうますぎるし顔色よすぎるし、you are
luckey と何度も言うのが鼻についたので無視した。3分くらいくっついてきた。

・ デリーで出会った人3 「日本人ヨガ旅行者」
夜はチベット料理食べたいようかなあとそれがある場所にいくが、看板はあっても入り口がない、困ったなどうしよう、と立っていると、夜はチベット料理食べようかなあとそれがある場所にいくが、看板はあっても入り口がない、と私に約1分遅れて困った日本人女性2人組に合った。一緒にラッシーを飲んで、違う場所でチベット料理を食べた。

彼女らは3ヶ月のインド/ネパール旅行をしている終盤。最初の一ヶ月はヨガトレーナーになる地獄の訓練を受けていたそうな。その時の話や、神と交信できるというおじさんに出会った話や荷台にバナナと共にリクシャーとして運んでもらった話など、とても面白かったので、是非旅行記を書いてくださいとお願いした。文章だとどうなるか分からないけれど、楽しみにしているのであった。

デリーの感想
インドの入り口デリー。
客引きもそれほどしつこくないし、寄付をと付きまとってくる人もあまりいないし、路上生活者も多そうでない。英語もよく通じて一般人は概して親切。宿を取ってぼったぐり旅行会社にさえいかなければ旅は簡単。人に好戦的な感じもないし、狙われているような視線を感じることもない。スラム的な混沌としていて、或る程度以上近づき難い感じのところももちろんあったが、インドと構えていただけあってちょっと拍子抜けだった。

2008年12月3日水曜日

睡眠薬強盗 in コルカタ

ブッダ・ガヤーの外れを歩いていると、ネパール人旅行者という人が声をかけてきた。 インドでは、向こうから声をかけてくる人はほとんどが金を巻き上げてこようとする人なのでほぼ無視することにしていたが、彼は現地の人と顔立ちとやや違っていたのと、南京錠つきのリュックを持っていたので、旅行者と信じて、話をしてしまった。

私が今日の夜行でコルカタに行くというと、彼も「自分もだよ」という。ただ、彼のは20:35発で私のは23:15発だった。しかし、どちらに乗るせよ、ガヤでは夜遅くの移動は大変危険とされているので、19時頃には「乗り合いの何か」で10kmくら離れたガヤ駅に移動終了しておかなければならない。
時間をどうつぶすか悩んでいたところだったので、彼の「じゃあ一緒にご飯食べて時間潰そうよ」という提案を受けて、19時に駅の待合室、と約束した。

駅につき、インフォメーションセンターへ。コルカタの地図ある?と聴いたら色あせた日本語のパンフレットを見せてくれた。情報古そうなので見たら1985年製のものだった。

待合室にネパール人はいなかった。
まあよい。駅前は排気ガスとあらゆるゴミで焚き火するため空気が最悪に汚く、そこから逃れて待てる場所を探した。 しかし、インドでは「屋内の食堂」というものは少な目である。
みつけた、駅前のホテルの中にある食堂に入った。
そこでメニューを見ていると、彼がやってきた。偶然同じところに来たようだ。
そして、ご飯を食べる。

なかなか居心地のいい場所だったので、お茶でも飲んでずっと時間を潰そうと思っていたのだが、彼は「ビールが飲みたいからバーに行こう」という。はっきり行って気乗りはしなかったが、彼はその日が誕生日だというなんだか信じられない話を言って誘うのを断りきれない。彼の仲間の店につれていかれて散々な目にあったら嫌だなあとか思いつつ、尻尾を掴む前に切り捨てるのは悪い気になっていた。

彼は散々駅前で聞き込みをしたあげく、バーはこの駅の近辺にはないらしい、という。
(ヒンドゥー語なので本当は何を聞いていたのか分かったものではない)。
その代わりに酒屋を発掘。私は自分は1本でいいといったのだが、彼はだめだだめだとビールを小瓶に6本買う。駅の誰もいないベンチで飲もうというも、どこにも人がいる。
彼曰く、駅や公共の場でお酒を飲むと1000ルピーの罰金なのだそうだ。

じゃ、もうあきらめようよといいたいところだったが、彼の執念は強い。
リクシャーワーラーに乗り込み、お酒を飲める場所を尋ねる。そして、10分近く走って、人気のないだだっ広い公園へ。

治安の悪いガヤのような場所で周りに人気のないところに行くのは危険なので、私は行きたくない、といったのだが、見るともう1カップル人なんか飲んでいる人がいるし、まあいいかという気に。
(ここもどうしても抵抗しておくべきシチュエーションだった)

座って、ビールを飲む。
彼はあっという間に一本をあけたらしく「終わり」という。
「あれ、もう飲まないの?」
「残りは1本は電車に乗ってから、もう1本は朝用」という。
そして、私が飲み終えるとなぜかまだビールが半分近く入っている瓶を出してきて、「シェア」といい私の空瓶に半分入れる。
ちょっと不信に思いつつそれを飲んだ私は相当ばかだったのだが、その時には何も起こらなかった。
そして、すぐに「電車逃すと嫌だからすぐ帰ろう」と言い出したので、その時には睡眠薬は仕込まれていなかったと思われる。

彼は駅前でビールにはこれが一番と、屋台でゆで卵を6つも買って、駅の待合室で待つ。

電車は3時間遅れで23時発が2時発に。もう電車を待つのにはうんざりである。
その間に彼はまたビールを飲もうとして、人に見つからないようにするために滑稽な動作をたくさんしていた。ビール狂なのかと。そして、さっきの卵は全部私にあげるという。6つも食えるか! (2つ食べた)

出発時間が近くなってきたので駅のプラットフォームに移動。ホームからはありとあらゆるゴミが投げられ、公衆トイレ状態で、たくさんのネズミがはいまわる。

さて、ここあたりで今後の事件の複線がいくつか既にあった。

その1
私が買ったビールを持っていたのだが、もう自分はいらないから全部持っていって、と渡した。彼がリュックをあけると、同じビールが更に2本入っていた。どんだけビールが好きなのだとその時は思ったが、今思えばあれが睡眠薬が仕込まれていたものだったのかもしれない。

その2
彼は20:35の電車に乗るといっていたはずなのに、なぜか私と同じ電車の、しかも同じ車両に乗った。
私が以前に買って乗れなかった電車のチケットを彼が見て「キャンセルして半額取り帰してきてあげるよ。ちょっと待ってて」と一人で彼はチケット売り場にいったが、きっとその時に始めて自分のチケットを買ったのだと思う。

私はちょっと気持ち悪くなって、朝になったら駅ですぐ逃げてやろうと思っていた。彼の行動スタイルは私のものとは違っていたし、電車に乗った後まで行動を共にするのはごめんだと思っていた。

しかし、朝になると、無言で消えるのは悪い気になって「自分は一人で動きたい。あなたといると旅は楽だが、むしろ苦労を楽しむのが自分のスタイルなのだから、ここで別れたい」と提案した。しかし、彼は(ポスト)誕生日に一人でいるのはつらい。せめてランチまでだけでも一緒にしようという。

私は同情の気持ちだけでそれを受け、午前の3時間だけつき合おうと思った。結果的にはそれが過ちになった。

彼は駅に宿を取れば楽だよといってきたが、旅行者の集うサダルストリートに行きたかったので、そこに行って私は宿を取る。彼とならタクシー交渉がとても楽だ。彼は駅の宿がチェックインPM2時だから、後で取るといって、もともと小さめのリュックを持ち歩いていた。

そして、カーリー寺院へ。たまたま一人の日本人が列の目の前に並んでいた。
メトロ以外はタクシーが主な交通手段で、リクシャーのあまりいないコルカタでは一人旅はしにくい。なので、3人でしばらく動くことにした。

そして、ランチタイム。
彼は、レストラン内で食べるとサービス料が高いからといって、とあるレストランでテイクアウトをした(おいしかったが、昨晩のご飯とまったく同じメニューを頼みよった!)。
そして、すぐ近くにランチを食べるのに素敵な場所があるからと、目の前に素敵な公園があるのにタクシーとフェリーを乗り継いで、人に道を尋ねる"フリ"をしつつ歩き、たどり着いたのは人気のないしけた庭園。

タクシーとフェリー代払ったらサービス料どころじゃないだろうし、なぜそこまでしてこんなしけたところに? 日本人二人はちょっと不審に思った。
でも、ご飯を食べる。

「さあ、ビール!」と2本のビールを取り出してふたを開ける。
そのうちの一本だけが泡が噴出し、一本は何もでなかったのは、後者が既に空けられていたからだろう、ということはその時には考え付かなかった。

彼は、2本のうちの1本をビール狂のくせに半分くらい飲むと、残りの1本からそこに継ぎ足しを行い、「自分はもういいからあとは二人で飲みな」という。
これがネパールスタイル??と思ったがもっと警戒すべきだった。

私達は滑稽にもバースデーソングなど歌ってあげた。
そして、あなたのバースデーなのだからもっと飲みなよ、という我々のビールの勧めには当然乗らなかった。

私が薬の多いほうの瓶を飲んだ。
もう一人の日本人は少ないほうを飲んだ。

そして、なんか眠いなあ、というのすらなくそこから記憶が飛んでいる。

もう一人の日本人は先の記憶があり、その話によると、
・ 眠くなったが、ネパール人が「ここでは寝るのはよくない」と言い、3人で違う公園に移動した。
・ とても眠くなったけれど眠ったらやばいと抵抗したが、結局寝る。
・ 2時間後に目が覚めるとネパール人はいない
・ 彼は何も盗まれていなかった
・ 私も「何も盗まれていない」と言った ← 実際その地点でどうだったかは不明
・ 彼は眠いので宿に帰るといったが、私は「今日1日しかないからもう少し見て回る」と言った。

とのことだった。

(この話からすると、ネパール人は我々がそれなりに意識があるように見えたので盗むのをあきらめて、私が一人行動はじめてぶっ倒れた後に誰かが盗んでいったという可能性もある)

人生とは数奇である。

彼は宿に帰ると14時間眠り続け、起きた後もおかしな意識状態だったという。私は2日間近く記憶が飛んだ。もし一人であのビールを飲み干していたら、後遺症が残ったかもしれないし、更にはもう目覚めなかったかもしれない。カーリー寺院に唯一いた日本人がたまたま自分たちの目の前に並んでいて(前日、彼はブッダガヤの日本寺で共に座禅をしていたことが後で明らかに)一緒に来たがったという要素が重ならなければどうなっていたか。
(むしろもう少し警戒して事件にはならなかったかもしれない)

大学生のときに交通事故で入院したことがあった。事故の前からしばらく記憶が飛んでいた。その体験を通して実感したこと。人生なんていきなり簡単に終わってしまいうるものなのだということ。死ぬというのはあのまま意識がもどらない、それだけのことなのだということ。それを今回も思った。

私は、2日後に、サダルストリートの宿のベッドの上で目が覚めた。
宿の人がタクシードライバーにお金を払えと言う。何の話だが全く分からないのできくと、どうやら私はその日の朝に「空港に行かないと」と、てぶらでタクシーに乗って、そのまま引き返してきたそうだ。そのような記憶は全くないが、周りの人の証言から事実のようだったので、人にお金を借りて払った。

盗られたのは現金と一眼レフカメラのみ。財布はチェーンでズボンにつけていたからか、盗られず。リュックの中身やクレジットカード、パスポートは無事。人目が合って、盗む時間がほとんどなくて残していったのかもしれない。ともあれ、それらがあったのでその後の旅の遂行自体は簡単で助かった。

人に聴くと、どうやら事件日の夜中の2~3時に、人に連れられて私は帰ってきたらしい。
自分がどこに泊まっていたのかを伝える事はできていたようだ。

2日間の間、朦朧とした、断片的な記憶がなくはない。
目が覚めるもののどこにいるのかよく分からない。なんとなく警察に行かねばと思う。しかし、隣のベッドの人に止められる。昼の0時だと思っていたのは夜のそれだったのだ。そして寝るが、一時間後にまた同じようなことをしようとした。あと、トイレに行って吐いたりした記憶があるようなないような。

周りの人には迷惑を随分かけたが、荷物を置くために共同部屋のドミトリにベッドを取っていたのが幸いして、なんとか皆に支えられながら意識を普通に戻すことができた。感謝である。

意識がある程度戻った翌日に、被害にあった日本人と警察に行った。
状況説明を口頭でした後、文書で私が書く。それを警察官が清書する。そしてランチを食べた現場に、格子つきの囚人収容車みたいなので行って様子をチェック。署に戻ってさらに清書。これで5時間経過。しかし、ここにきて同行者は「あの公園では寝ていない。3人は違う公園に行ってそこで寝た。」と言う、私がそれまで知らなかった話をした。
警官はちょっといらっときて、「それが本当なら、全部書き直しでまたその現場に行くことになるがどうなんだ」と言う。面倒だろう、やめとこうぜ、とう視線を感じる。確かにもううんざりだ。目的はポリスレポートをもらうことなので、「いや、さっきの話が本当ということで」ということに。どうせ犯人なんて見つける気はないんだろうなあと思った。だって、犯人の様相として聴かれて説明したのはたのは幾つくらいかと、めがねナシ、色黒い、中肉中背で背は高くない、髪はちょい後頭部はげかけ、と服装くらい。その半分は私が自主的に言ったものだ。しかしまあインドにどんだけそんなやつがいるねんと。もっと役に立ちそうな、彼のとった夜行列車の予約したシート番号をしっていたので教えるも不要と言われた。指紋だっていくらでも取れたろうにしないし、本気で犯人を捕まえる気がないのは明らかであった。 彼の写真はカメラごと消えたので提出できず。

さて、ポリスレポートが取って空港に行ってシンガポール空港に情状酌量の新チケットをもらってさっさと帰国したいと思っていたが、すべての作業が終了したらもう夜だったので、やめた。全部で 6~7時間かかっていたが、そのプロセスの遅さにまったくいらつかなかったのは、クスリの作用で時間の経過が普段と同じに感じられていなかったからだ。丸2日たっても消えない薬効。いったい何を飲まされたんだ。

まあ、二人もいて警戒心を働かせなかったのはからが旅人として見える能力に相当長けていた問いのもあるが、二人とも抜けていたのも確かである。

今後の旅行に置いての人間不信度が極度に高まることが予想される悲しい出来事であった。

でも、本当に悲しかったのは、信頼というものにつけこんだ彼のこと以上に、旅の無事を祈ってくれている人がいるというのを知っていて、リスクと分かっている行動を自分が取ってしまったことだ。
これは大きな悔いであるし、お詫び申し上げたい。

写真は警察と現場検証時に携帯で撮った写真。(日本の)携帯も盗まれなかった。

2008年9月30日火曜日

メナド ダイビングクルーズ: 総括/旅のデータ

華僑 in インドネシア

彼らは私を中国のお寺にも連れて行ってくれた。
お寺の中身は中国本土で見るものとさして変わりは無く特筆事項なし。
しかし、彼らは「中国人で無いからお寺に入れない」と言ったのにひっかかった。

インドネシアでは華僑は裕福な人が多く、収奪されていると考えて反感を買っていたりする。
1998年、私がはじめてインドネシアに行った時には特に排中ムードが高まっていて、マレーシアからスマトラ島に渡る船に乗る際にチケットもぎりの人に「向こうでは毎日中国人が殺されている。君は中国人にも見えるから行くのは危険だ。」と言われたことがあった。
最近は政府の広報活動もあって、排中運動は弱まったらしいが、華僑は警戒のためにお寺には中国人以外入ってはいけないことにしていたのかな、と思ったりした(もしかしたら、カトリック/イスラム の信者だから入らなかっ
たのかもしれない。ちなみに、メナドはキリスト教が多数派)。

そのことを尋ねてみると、「メナドではそういう確執はほとんどない。今はインドネシア生まれの2世以降がほとんどで、それなりに地域に溶け込んでいる」と言っていた。また「中国人はうちらより頭がいいからお金持ちになるんだ」と自虐的に付け加えたので、「彼らは商売のことをいつも考えているし、世界中にネットワークがあるから。例えば、さっき食べたおいしいフルーツ、あれが世界で出回っていないのを知って、じゃあ輸出させようって実際に動く/動けるのが華僑なんだと思う」と、フォローになるかも分からない知ったようなことを言ってみた。

<総括>
レンベに張り付きっぱなしだったため、サメ、カメ、バラクーダなどの大物の王道には全20ダイブ一度も会えず。大物好きの私はもうマクロダイブは3年くらいしなくてよい気分である。
実に残念であるが、「『メナドでしかできないダイビング』という意味ではレンベに潜ることができたのはよかったと思うよ。ブナケンのようなところは世界のほかの場所にもある」とローカルのガイドに言われた言葉はそのとおり。そう思って納得することにした。
日本人のゲストがいないことを嘆いていた船員に「今度、日本人をたくさんつれてきて通訳してくれたら大幅ディスカウントするよ」と言われてなびかなくもないが、もうレンベは十二分に満喫したのできっと戻るまい。

かくしてストイックなダイビング旅行は終わり。
帰りもジャカルタ一泊の長旅。ダイブコンピューターの飛行禁止令は搭乗待ちの時にようやく消えた。
しかし、振動の無い、南京虫のいないベッドに寝る幸せ!
今回は帰国後、前回のような減圧症?と思わせる変な感じもなく健康的に過ごした甲斐があった。

<旅のデータ>

持ち物:
<写真>
フィルム一眼レフ(Minolta Maxxum5 Velvia100 Minolta 24-105mm F3.5-4.5)
コンパクトデジカメ(Fuji F100Fd + メモリ2GB + マリンパック + 充電器)
コンセントプラグ+形状変換機(C型:実際は不要だった)、ミニ三脚、レンズクリーナー

<服>
タオル、服、帽子、サングラス
<海>
ビーチサンダル、水着 + ラッシュガード、ダイビングライセンスカード、ダイビング用品一式、腕時計(ダイブコンピュータ SUNTO MOSQUITO)、飴
<洗面 薬>
歯ブラシ、日焼け止め、シャンプー、髭剃り、リップクリーム
<便利>
暇つぶし本*3、ガイドブック*1、携帯マクラ、ノートPC(ThinkPad X61)
<貴重品>
現金200USD+α、クレジットカード(VISA)、HSBCバンクカード、パスポート、香港住民IDカード、証明写真*2、

持ってゆけばよかったもの
消毒薬、バンドエイド

メナド ダイビングクルーズ: ダイビング

レンベ Lembeh でのダイビング

基本的に本船は固定位置、ボートでポイントまで向う。
最初はレンベ海峡でのダイビング。ここは完全に小物狙いで、ここにしかいない珍しい生物がたくさんいることで知られた場所。実際にそのとおりで、葉っぱみたいな魚やら妙な色のウミウシやら歩く魚など、妙な生物がたくさんいた。写真家にはたまらないだろう。ただ、写真好きが集まるといい被写体がいた場合の撮影場所の奪い合いで大変である。我々のパーティーにも一人、独占的な人がいて他の人は少し困っていた。

外洋に面していないのもあり、海峡の内部は透明度は 10m 以下であることが多かった。撮影に熱中しているとすぐにはぐれる。私達のダイブマスターの一人はかまわず進んでゆくタイプ。一度は捜索をあきらめて1人で浮上してボートに戻ったりした。

1ダイブはとても長く、だいたい60分以上。浅場が多いと80分というのもあった。
また、ナイトダイブでも容赦なく、最深 28m、60分のナイトダイビングなんてものもあった(これは、酒気帯びだったらしいダイブマスターの暴走)。流れがほとんどなかったからよかったものの、あったらこの深さはちょっと不安。

レンベは、人々の生活の場の近くでダイビングをするということもあり、ゴミが多い。これほどゴミの多いダイブサイトは他に見たことはない。船員もタバコとかを海に捨てまくっているし、せっかくの観光資源でもあるのに、あまり環境保護とかは考えていないようだったのは残念。水がまだ汚くはなっていないのでよいが、将来は長くないかもしれない。

レンベの奇妙な生物の数々に最初は心が躍ったが、それにも慣れて2日(6ダイブ)で飽きた。大物もみたい。
3日目は外洋に面して大物の期待できるバンカまで移動する予定だったのだが、悲しいことに本船が故障して動かない。3日目のレンベはもういいよという感じだったが、初めて天気が良かったせいで浅場の珊瑚が綺麗に見ることができて、それはそれで気持ちよかった。

船が動かない!

しかし、その日の夜に衝撃の事実が判明。
なぜか"石油がない"という理由で、メナドの花形、ブナケン島周辺には行かないことになった。なぜ?なぜ?街にはすぐにいける距離なのに訳が分からない・・・。
結局、バンガ島に行ったのも1日だけで5日間レンベに定住するという、ほとんどクルーズ船に乗る意味のない生活だった。
(文句を言おうとした船長はクルーズ中に消えてしまったので、後で代理店経由でクレームを出した。「状況確認します」と言われた後、何も無く3週間経過。)

1日だけ日帰りで行ったバンガ島は、周囲に人の気配のあまりない秘境的な状況がよかった。
ただし、大きな魚が見れるよ、と言われていたものの3ダイブで見たのはマグロのみ。それでもレンベにはなかったドロップオフや魚の群れを見ることができてリフレッシュされた。

他の乗客はシンガポールとの直行便のスケジュール上、1日早く帰ってしまい、最後の1日はゲストは私一人になった。それでも船員は親切で、泳ぎたいと言えばスノーケルに連れて行ってくれ、メガネザルに興味があると言えば動物園に連れて行ってくれた。また、乗員の実家でお茶と過去に見たことの無いおいしいフルーツをごちそうになったり、お土産を買うのにつきあってくれた。

船長以外の人はとてもいい人たちばかりであった。


歩く魚1
snakeウツボとエビダンス

葉っぱのような魚
歩くスコーピオンフィッシュ

2008年9月17日水曜日

メナド ダイビングクルーズ: 船上生活

メナドへ

翌朝、ホテルのシャトルバスで空港へ。Lion Air というローカル航空会社(ネットでチケットが買えたりする分ガルーダより近代的かもしれない)で買ったメナドとの往復チケット。帰りはできるだけ遅い時間の便で帰りたかったのだが、ネット上では一つ前の時間のチケットの2倍以上の値段だったので買わなかった。しかし、物は試し。オフィスで聴いてみると「一回だけなら変えられるよ」とのことで、あっさり無料で時間を変えてもらえた。これで一本は余計に潜れそうだ。

ジャカルタからメナドには乗り継ぎあるので5時間くらいかかる。シンガポールから3時間というのを考えると、香港から行くメリットは完全に消えてしまった感じである。
ライオンエアーは、ご飯なし、スナックと飲み物は有料、音楽どころかリクライニングすらないという、格安度が前面に押し出されていた。この時世、インドネシア国内便だとしても諸経費入れて海外から(インドネシアの国内便は国内で買うと随分安い)25000円で買えればまあ安い。席はほぼ満席。ちなみにガソリンは1リットルまだ70円程度と日本の半額以下。さすが資源国?

スラウェシ島の自然や色にバリエーションの多い田んぼやら、トロピカルな島々を見たりして、目的地に。そこから車で1.5時間くらいかけてレンベへ。田舎の港町へ行き、香港出発から26時間。長い旅を終えてようやくクルーズ船に乗る。

他の乗客は男性4人。アメリカ在住のバングラディッシュ人、シンガポール人(マレー系)、フランス人、オーストラリア人と多彩、でも皆シンガポールに滞在している人たちだった。
シンガポールからは直行便があることもあり、ゲストはシンガポール人の割合が多いと船員も言っていた。日本からも(そして香港からも)、シンガポール乗継が普通。ちなみに日本人はほとんどこのクルーズには来ないそうな。日本人ガイドがいるところが各所にあってそちらに取られるし、このツアーは日本から行くと木〜金+乗り継ぎで1〜2泊と、一週間以上休まなければならないので、日本の会社員にはちょっとつらそうだ。

船に着いた瞬間、先に到着したメンバーとダイビング開始。
普通ある誓約書を書いたりライセンスカードのチェックという儀式もなし。いいのか?!

ストイックな船上生活

このクルーズ(My Aurora マイ・オーロラ号)は 6泊7日 1日4ダイブで 760USD と格安。
しかし船は古いし狭い。設備等、モルディブやトゥバタハでのクルーズ船とは違い、やはり値段相応。部屋も狭い。二段ベッド以外は1畳もないくらいで、3人分の枕があったが3人で泊まったら殺し合いが発生するだろう。あと、発電装置の振動と音がかなり伝わってくるのも慣れるまでは気になった。かつ、軽く排気ガス、トイレ、埃の匂いが順番にやってくる。何より嫌だったのは、ベッドに虫がいて痒くて眠れない夜が度々あったこと。
乗組員は「ゴキブリが出るから日本人女性はこのクルーズは無理だね」と言っていたが、それだけではあるまい。個室の引き戸も鍵がかからないし相当隙間が空いているのでプライバシーもくそもない。浄水設備もないのでシャンプー等の使用も自粛。ここで7日生活するのは結構ストイックだ。

しかし、ローカルの乗組員には個室はなく、夜は食堂のベンチでごろ寝とかであることを考えると贅沢な話だ。イタリア人の船長のみが客室に寝泊りしているのだが、従業員はそれを快く思っていないようだった。

困った船長

その船長はひどい人物で、乗組員は彼をは相当に嫌っていた。言い分は「船では何もせずに、現地でガールフレンドをたくさん作っては船に連れ込んで、彼女と寝ているか眠っているかしかしない」。実際そうで、二日目途中まで私は、彼をダイビングをしない慣れた客だと思っていたし、なんで船に乗組員でもなく乗客でもない女性が乗り込んでいるのか不思議に思っていた。これは乗組員はやる気をそがれよう。
なんだか気まぐれで船を降りていなくなってしまうし、困った人である。

しかし、船長はもうこの事業をやめることにこのクルーズ中に決まったようである。今回、客として来ていたシンガポール人のこのボートを船長から買い取って、改修して新たにビジネスを仕切りなおすことになったのだった。乗員たちはちょっと嬉しようだった。

食事

クルーズ中のご飯はおいしかった。ダイビング中に射止めたり猟師から買ったりした魚をすぐさばいてココナツの皮を炭代わりにして焼いて食べたりした。イカの刺身やナポレオンの子供、ハタ、タイ、トロピカルな色のパイロットフィッシュなど色々食べたがどれもおいしく、香港で満たされていなかった新鮮でおいしい魚をたらふく、欲が満たされた。
まあしかし、それ以外は本当にシンプルなご飯。食事準備にほとんどお金がかかっていないというのもツアーの安さの秘訣かもしれない。

ダイバーに怒られそうだが、ナポレオンフィッシュはおいしかった。そしてその骨は青かった。

他の客はお酒を飲むのが好きで、夜中まで飲みすぎて、朝1(下手すると午前中一杯)のダイビングをスキップしていたりした。私は今回は減圧症リスクを少しでも減らすためにお酒を飲まないことにしていたし、ゲストが男性だけゆえシモに走りすぎてつまらないのもあり、それほど付き合わず、健康的に過ごした。

メナド ダイビングクルーズ: 目的地へ

参考レート: 100RP ≒ 1.2円

今回の旅行へのいきさつ〜ジャカルタ

5月に買った 香港-ジャカルタ往復チケット。出発直前で健康状態の理由でいけなくなってしまった。しかし、期せずも日程が変更できるチケットだったので、何か無理やりインドネシアで用事を作った。
ジャワ、スマトラ、ビンタン、カリマンタン の4島には行ったことがあるので、できるだけそこを外す&ジャカルタから行きやすいところ・・・という条件探して、スラウェシ島のメナドでダイビングクルーズをすることした。

この格安チケットの悪い点は、行きは夜着、帰りは早朝発なので、国内当日乗継がほぼ不可能というところ。しかし、ジャカルタの街中は結構遠いし、空港からのアクセスも含めて周辺の治安もいまいち。便利な、ジャカルタの空港ホテルは一泊 120USD〜と、格安チケットの存在意義を消す存在。空港付近の安めの宿をうまく探さなければならない。空港でなんとか考えることにして出発。

今回乗った China Airline は、新型機らしく、とても綺麗でエンターテイメントも充実。タッチパネルで液晶の質もよい。結構新しい映画もあって時間を潰すことができた。サービスも悪くない。帰りはルクソールというゲームを4時間くらいやり続けた。着陸につき中止になったが、一度もゲームオーバーにならなくても、13-10面中5-2面までしか進まなかった。どれだけ長いフライトならば最後まで行けるのだ?!

インドネシアは近年、入国にビザが必要になった。完全にお金目当てのそれは空港で簡単に取ることができる。簡単であるが時間がかかる。割り込みは多いはで、ただ買うだけに1時間近くもかかった。これはひどいストレス要素ができたものだ。そして、乗継用の2泊のせいで7日以内10$のビザでなく30日以内の25$ビザを買わなければならなくなったくやしさよ。

すっかり空港を出るのが遅くなった。ATM は壊れていたので割の悪い空港両替屋で1日滞在のお金を作る。インフォメーションセンターにて空港付近で安めの宿はないかと聴くと、例の高級エアポートホテルを薦めてきたり、15km先のホテルを紹介してきたり、埒があかない。まあなんだかいろいろあって、夜も遅いので面倒になって客引きに安めの宿に連れて行ってもらうことにした。もちろん彼は信用できないことこの上ないし、悪い噂のあるジャカルタの空港なので、心配。結局、身分証明と顔写真を撮影&無事到着するまで身分証明を預かる&仲間は乗せずに1:1で行く、というあんまり役に立たない条件で行くことにした。
そこは車で10分強。宿は1つはフルだったので近所の別の場所に連れて行ってもらう。タクシー代としてあげた 100,000Rp はこの近さにしては、とても高かった。でも価値はあっ
たのでよしとする。次回は宿に直接電話して迎えに来てもらえばよいことが分かったし。

※ ということで、復路では空港から電話してみたが英語が通じにくく、二箇所にたらいまわしで電話代だけで 30,000Rp。「15分で行く」といって来たのは約一時間後、というとこ
ろだったので、時間の惜しい人は最初からタクシーで行くのがよいと思われる。しかし、一時間待たせておいて侘びずにチップくれと言えるのは感覚の違いである。

宿に着いたのでご飯でも食べようと、近くの小さな食堂で、ご飯におかずを乗せる形式のご飯を食べる。お腹怖さなそうなものという消極的理由で選んだおかず群は冷めているし味は濃いしであまりおいしくない。テーブルの上にはたくさんのアリが歩き回っている。値段は 3000Rp で、予想より随分高いなあと思ったが、よく考えたら1桁認識間
違え。35円くらいとすごく安かった。

夜は大量の蚊と夜通し続いたモスクからの?大音量歌声であまり眠れず。

<検索用の参考宿泊情報>
ジャカルタ スカルノ・ハッタ 国際空港周辺の安めの宿
※ どちらもすぐ満室になるので予約したほうがよい。

HUWAH transit hotel
Jl. Husein Sastranegara No9 Benda - Tangerang 15125
Tel (021)-5555885 or 5555886 一泊 150,000Rp前後

Hotel ELLIA BANDARA
Jl. Husein Sastranegara No68 Benda - Tangerang 15125
Tel (021)-5550970 or 5562292 一泊 170,000Rp前後
(STANDARD と DELUXE に泊まったが、設備は同じで前者の方が広く不思議だった)